「郊外の幸福論」 小林のりお

作りかけの箱庭のような街には青空が良く似合う。日曜日のニュータウンは、幸福を求める家族づれでいっぱいだ。その街で私と息子は、久しぶりの再会に心を弾ませる。離縁後の月2回の面会日は、私たち親子がつかの間の再生を果たす日でもある。にぎやかな大通りをぬけ、街外れの丘に立つと、プラモデルのような家々が頼り気なく並んでいるのが見える。「ここがお前の故郷だよ」と私は心の中で息子に言う。

かつて「郊外」という響きが、人々を魅了した時代があった。都心から程遠くない場所に小奇麗な一軒家を構え、子供や電化製品に囲まれて平和な暮らしを営むといったスタイルが理想とされた時代だ。ニュータウン、ニューファミリー、その「ニュー」という文字には、われわれ庶民の夢と希望が込められていた。1970年、百合ヶ丘は造成途上の風景がどこまでも続く荒野のような街だった。その荒野の中に高校生の私がいた。風土を削り取った後のアッケラカンとした光景は、私そのものだった。不安と空虚さが風景と同化していた時代だった。

あれから30年近く経た今、目の前の街はどことなく疲れてみえる。ニュータウンやニューファミリーはどこへ行ったか。夢はかなえられたか。風景は完成したか。確かに風景は変わった。激変といってもいい。喪失といってもいいほどの目まぐるしさだ。そして風景の完成をまじかに控えて、われわれは夢を見失った。ピカピカの家は空虚な器と化し、家族はバラバラになった。風景を組たてなおす途中で、大切な設計図をなくしてしまったのだ。設計図亡き後の世界は、現実が現実らしさを失い、何が真実で何が虚構かの区別さえはっきりとしない荒野と化した。今、その荒野の中を誰もが生きている。

われわれ写真家もまた、向かうべき風景、向かうべき対象を喪失している。かつてのようにファインダーの向こうに確かな手ごたえを感じとることは少ない。私がいて世界があり、世界があって私がいるといった幸福な関係が結べなくなったのだ。現実が現実でなくなってしまったのだから、写真も変わらざるをえないということなのだろう。やがて、不定形のデジタルワールドが写真の世界にも押し寄せてくる。写真もまた、設計図のない荒野の中に投げ出されることになる。

丘の上から見る風景は、いかにもはかない。この街の過去を知らない息子は「ただこの今」という刹那の中を生きている。なくしてしまった設計図が蘇ることはないだろう。だからといって希望を捨てたわけではない。我々の行く先に、荒野の向こうに、新しい風景が立ち上がらなければならない。私も息子もそうした思いで青空に向かう。     

( 朝日新聞 1999年1月掲載より)


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