はかなさの獲得  小林のりお

一年ほど前、急に思いたってMacを買った。必要に迫られてというわけではなく、ただなんとなく予感のようなものを感じて、フッと買ってしまった。コンピュータに関してはなんの知識もなかったが、少年の頃からラジオ作りやアマチュア無線などが趣味だったせいもあってか、さしたる苦労もなくすんなりと馴染めた。購入から二カ月後には、簡素ながらもホームページを作ってデジタルカメラによる新作を発表していた。あのときから現在まで私のホームページは増殖と変容を繰り返し、まるで生き物のように日々成長し続けている。

インターネットという新しい環境を、なんとか自分に即した発表の場として活用できないか・・・。私はけっこう本気だった。過去の作品をデータベース的に見せることには全く関心がなかった。それよりも日々、移り変わってゆく私の表現をそのままの形でリアルタイムに見せて行くこと・・・その一点に私はこだわった。もともとアンセル・アダムス流のオリジナルプリントといったものには関心がないし、暗室作業にまつわる手工芸的世界からは距離を置いていたいと思っていたから、デジタルカメラを持つことにはなんの抵抗もなかった。モニターを通してみる写真も嫌いではない。従来の写真が持っていた厚みや奥行きを失った、非物質的な発光体としてのイメージ。いかようにも変換可能なデジタルイメージは、私が「今、ここ」にとどまることを許さない。現実と虚構といった対立関係が消え、私もまた変換可能な一個のピクセルと化す・・・。それは、従来の写真が持っていた強固で構築的なイメージではなく、構築しながら解体を繰り返す流動的なイメージを私たち(写真)が獲得しつつあるということかも知れない。

はかなさ・・・この言葉はデジタル写真そのものであり、この時代そのものだ。Webを通して見る何千、何万という数の写真たちは、モニターのスイッチを切れば、たちどころにフッと消えて無くなる。私は、このはかなさが好きだ。

デジタルカメラを使って最初に発表した写真は、私の息子を題材にしたものだった。息子とはいっても、普段は別々に暮らしている。二年程前に離婚し、前妻のもとで暮らす息子とは、月数回の面会日を取り決め、会う約束をしているのだ。私は、面会の度にデジタルカメラを持参し撮影を続けた。 解体しバラバラになった私たち家族が、ピクセルに変換され、モニター上に再構築されてゆく。デジタルカメラという最新式の機械が「はかなさ」を獲得する瞬間、私は冷たい機械が少し温かになるのを感じていた。


1998年 季刊・武蔵野美術109号/写真の情況に執筆した文章です。

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