1998年のホームページに掲載した文章   小林のりお

「結局のところ、デジタル信号は巡り巡って自身の元へと帰ってくるだろう。窓としてあるべきインターネットが、鏡としての機能しか持たないということか。そんな合わせ鏡のような世界の中に私たちは生きている」このホームページを創設して最初の日に書いた言葉だ。新年に自戒の意味も込めて再度、反芻している。砂で作ったお城のようにインターネットは、意外にもろくて崩れやすい性格なのかも知れない。そんな未熟さを抱えながら今なお発展途上のメディアとして変化し続けるインターネットを、自身の新しい環境として受けいれてゆきたい。(1月1日)

元旦から連日、マミヤ6を携えて近所をウロウロ歩き回っている。ポケットにフィルムを10本ほどつっこんでの気楽な撮影なのだが、いつも1時間ほどでフィルムを使い切ってしまう。無くなったらそこで撮影はおしまい。それにしても、天気の良い日は外を歩くだけでも気持ちがいい。頭を空っぽにして、ただただ視るということに徹して歩き続ける。少しの間立ち止まってはシャッターを切り、また歩く。その繰り返しが少しずつ、私の中の無意識をかたちあるものに変えてゆく。明日も晴れますように。(1月3日)

昨日、写真学校のゼミの学生諸君がわが家に遊びに来てくれた。みんなで鍋を囲んで楽しい一時を過ごした。あと2回ほどで授業も終わり、卒業式をむかえることとなる。卒業しても、10年、20年とずっと写真を続けてほしいと願うばかりだ。私は教えることのプロではないから、はたして実のある授業ができたのか、はなはだ自信がない。写真を教えるといっても、実はこれといって教えるべきことは何もないような気がする。自問自答する写真家としての後ろ姿から何かを感じてくれればそれでいいのだと思っている。ゴーイングマイウェイ、月並みだがあとはこれしかない。(1月11日)

雨が降っている。東京人を驚かせた大雪も徐々に消えつつある。私の住む郊外の街では、40センチほど積もった。雪が降ると秋田育ちの私は血が騒ぐ。近所の誰よりも早く起きて、家の周りの雪かきに精を出した。それにしても東京の雪は、はかない。昨日見た夢のように細部の失われた記憶だけがぼんやりと残り、それもすぐに消えて無くなる。(1月18日)

2MB のホームページが無料で持てるジオシティーズというシステム内に第2サイトを作った。題して「多摩ニュータウン/そのアイデンティティー」ここ20年ほど撮りためたニュータウンの写真が山ほどあるので、地域の住民の方々に資料として見てもらえればと思い軽い気持ちで立ち上げた。未発表のモノクロ写真などを整理がてら掲載してゆこうと思っている。昔の写真は私の中では、表現というよりすでに資料としての位置づけにある。それほど遠くに来てしまったということかも知れない。お暇の折は、しかめっ面しないでどうぞ気軽にのぞいてくだい。(1月29日)

3日、日頃インターネット上で交流のあるメンバーが、Magus Cyber-Photo Gallery の創設を祝ってダイガ氏の事務所に集まった。平日の昼間だというのに、何やら怪しげな男女7〜8人がマンションの一室でケーキを食べながら密談。どうみても、カタギのすることではありません。ホントに因果な商売にハマッテしまったものです。Magus の益々の発展を祈ります。(2月5日)

モニターの映像は、はかない。従来の写真が持っていた厚みや奥行きを失った、非物質的な発光体としてのイメージ。私は、このはかなさが好きだ。いかようにも変換可能なデジタルイメージは、私が「今、ここ」にとどまる事を許さない。現実と虚構といった対立関係が消え、私もまた変換可能な一個のピクセルと化す。それは従来の写真が持っていた強固で構築的イメージではなく、構築しながら解体を繰り返す流動的なイメージを私たちが (写真が) 獲得しつつあるということかも知れない。この Web 上のギャラリーもそろそろ新たな段階にコマを進めなければと思っている。とりあえず、3月〜4月をめどにその構想を練っているところです。(2月7日)

文章関係のファイルを他のサーバーに移して、メインのギャラリーをシンプルなものにしました。楠かつのりさんとの往復書簡も始まります。5月に写真展の予定があるので、その準備のため3月、4月はホームページの更新がゆるやかになると思いますが、今後ともどうぞよろしくお願いします。(3月1日)

写真は嘘をつく。幸せそうに笑っている写真が、じつは泣き顔だったり、仲むつまじい夫婦の写真が、じつは不倫中のカップルだったり・・・。一枚の写真が、それを受け止めるひとの感じ方ひとつで大きく変わる。そんな写真の曖昧さを私は愛する。ときとして自分の撮り方、スタイル、そうしたものから自由でありたいと思うことがある。固定化したフォームを延々と続けるだけなら、オートメーションの製造機械と変わらない。私は機械ではない。(3月20日)

雨の中、奥多摩山中に撮影に出かけた。妻に傘をさしかけてもらって、4×5 カメラのピントグラスを久々にのぞいた。青いビニールシートを求めての旅は、それ自体奇妙なものだ。「動機」は全て私自身の中に存在する。日常生活の中で、この「動機」を持続させるためには結構根性がいる。外から与えられるのではなく、自分自身で作りだしてゆかなければ前には進めない。雨の中、私は私自身の「動機」と向かい合っていた。 Japanese Blue が、静かにそこにあった。(4月9日)

40 も半ばになると、若いころと違って世間や他人の評価があまり気にならなくなる。自分自身に向けてやりたいことを素直にやればいいやという気持ちになってくる。私は私自身の中に生きるしかないのだという、ある種の開き直りともいえる心境になってくる。不思議なものだ。それにしても、みんないつの間にか歳とってゆくね。つかの間の春。(4月23日)

一日、三鷹市美術館でやってる「ランド・オブ・パラドックス」を見に行く。自分の過去の作品を見ること・・・。それは「何かが終わった」ということを確認するための行為なのかも知れない。独り反芻する。と突然、「お客様、ガムを噛みながら写真を見るのは止めて下さい」と係の若い女の子から叱られる。ああ、興ざめ、気分落ち込む。美術館という器の変な教養主義のようなものを感じて嫌な気分になる。「ガムぐらい、いいじゃん」と言いたかったが言えなかった。私は写真を見るとき、音楽を聞きながら、酒を飲みながら、友と語りながら、ガムを噛みながら・・・がむしろ普通だ。自分の作品もそうした自由な雰囲気のなかで見てもらうのが好きだ。しかし、美術館にはそのような自由がない。ロボットのような警備員が目を光らせ、モニターで監視され、物音ひとつしない空間は私には苦痛以外の何ものでもない。美術館という公的な器が、知らす知らずのうちに観衆や作者を阻害し、ただただ空虚な陳列棚のような存在にならないことを願う。(5月3日)

14日、ギャラリー日鉱でのオープニング・パーティーがあった。篠山紀信さんはじめ、おおぜいの人たちが来てくれて盛況だった。やなぎみわさんとの二人展ということで、美術と写真ということについて新ためて考えてみるいい機会になった。美術家の人たちとの交流でいつも感じるのは、私たち写真家と彼らとの間に横たわる表現というものへのベクトルの違いの大きさだ。同じ表現といいながら、目指しているもの、立っている場所、全てが根本的に違っているように思う。これは37年間写真をやってきた私の実感だ。構築と破壊に向かう美術と、ただ通過するだけの写真・・・。立ち止まり、シャッターを押し、ハイサヨウナラ、無責任なようだがこれが写真なのだ。「サヨナラだけが写真だ・・・」私は、この展覧会に向けての撮影中、そして現在もこの言葉を何度も反芻している。Web版 Japanese Blue Project は、6/6まで日々更新。(5月16日)

最近、海外向け英語版ページにアクセスした人の国名を検出できるカウンターをつけた。その一覧表を見て、じつに様々な国の人たちが見てくれていることに驚いている。アメリカ、フランス、ドイツ、イギリス、に始まりスウェーデン、エストニア、クロアチア、パキスタン、イスラエル、ルーマニア、ハンガリー、スペイン、デンマーク、チリ・・・実に35カ国ほどはある。これほどバラエティーにとんでいるとは予想もしなかった。都内のギャラリーで展覧会をやっても、これほどの人が集まるのはまず不可能だ。こうしている間にもどこかの国の誰かが、私のホームページを訪ねてくれていると思うと、たかがホームページといえども疎かにはできない。こうしたインターネットの優れた特性をなんとかもっと活かせないものか・・・。そう考えながらネットサーフィンをしていたら「・・・とにかくこの新しい場、を何とかしたい。しなければならない。しかしこの手応えの無さ、これは如何ともしがたい。無限の暗闇に向かってわたしは叫んでいる・・・」という日記の一文を見つけた。 Web 上で真摯な写真表現を展開している佐藤淳一氏の言葉だ。おそらく、この Web 上で真剣に表現というものに取りくんでいる全ての人が同じ思いでいるに違いない。 Web での表現はまだ始まったばかり。作り手の意識も然ることながら、見手の意識がまだ一定のレベルまで上昇していない。 Web で表現を感受する習慣がなかったのだから当然といえば当然のことなのだが・・・。日本におけるインターネット環境もまだまだ立ち遅れている。電話代を気にしながらのネットサーフィンは、やはり辛い。写真学生にインターネットを勧めても「お金が・・・」の一言でその意欲も消えてしまう。この私もまた、無限の暗闇に向かって叫んでいる。この暗闇の向こうには、無数の網の目が張り巡らされているのだけれど、その数のあまりの多さに途方に暮れる。(5月18日)

今日、ホームページ創設一周年をむかえた。この間、ネット上でお世話になったみな様にお礼申しあげます。ホームページは、大海に手紙を詰めたボトルを流すようなもの。誰が、どこで拾ってくれるのかわからない。流れ流れてどこへたどり着くのか・・・。いつの間にかマックに向かいアップロードを繰り返すことが、私の日常的行為になってしまった。ご飯を食べるように、お風呂に入るように、私はマックに向かう。(5月22日)

ランド・オブ・パラドックス展のシンポジウムを聞きに三鷹へ行く。壇上の議論が何か空虚なものに感じられて、そう感じてしまう今の自分の居場所をしきりに考えていた。どこか遠い所で語られる写真・・・。私が日々感じ、実行している写真行為と人々が考える写真とのズレ。そのズレが日増しに大きくなる・・・そんな予感がした。(5月23日)

ランド・オブ・パラドックス展も後わずかで終わろうとしている。一人のキューレイターによって企画されたこの写真展は、われわれ写真家に様々な思いを残してくれたように思う。雑賀、畠山、山根、小林、この4人のメンバーでのこのような形での展覧会は、もうこれが最後だろうと思う。私個人からすれば、かなりしんどかったのも事実だ。それぞれの作品がこのような形で括られることへの疑問もなかったわけではない。作品のセレクトをめぐってキューレイターともめたのも事実だ。アメリカを巡回するということでプラスαの有用性を持たされてしまった写真は、「今、ここ」というアクチュアルな能動性に欠けていたのかもしれないと素直に思う。10年前だったら、もう少し感じ方が違っていたかもしれないが・・・やはり遠くまで来てしまったということだろうか。(5月27日)

若い頃は誰もがキラキラと輝く何かを持っている。未成熟で未分化であること、それ自体が価値を持つ。しかしながら、時の流れとともに誰もが手垢にまみれ、そのやわらかさを失ってゆく。成熟と喪失の織りなす私たちの人生。やわらかさへの希求・・・40代半ばの私は、もはや失ってしまったやわらかさを追い求めようとは思わない。むしろ喪失することで獲得できる何かを求めている。それが何であるかは、まだわからない。わからないからもう少し生きてみようと思う。(6月4日)

今日、メインホームページのサーバーを移転しました。ギャラリー日鉱での写真展も終わったし、また頭の中を空っぽにして独りっきりのマラソンレースを始めます。期間中、写真展会場へ来ていただいた方々に心よりお礼申し上げます。今日は、去年のゼミの卒業生が遊びに来てくれるとのこと。飲むぞー。(6月7日)

ギャラリー日鉱での展覧会をふり返ってみる。企画者の杉田里佳さんからお話をいただいたとき、美術音痴の私はやなぎみわという作家の名を知らなかった。しかし、そのことを私は恥じてはいない。私の日常は、決して芸術至上主義的生活ではない。こと美術に関しては、ほとんど関心がない。それは、たぶん私が写真家だからだ。こういうと変な言い回しに聞こえるかも知れないが、それほどまでに美術と写真は遠いということだ。私は子供の頃、とても絵を書くのが上手だといわれた。しかし同じ頃、カメラという不思議な機械に出会って以来、写真世界の虜になった。写真は手の熟練を必要としない。わずかな人さし指への力ひとつで、世界を開示する。世界を写すのではなく、世界と出会う。子供にとって新たな世界との出会いは楽しいものだ。絵を書くときの内省的な気分とは少し違う、心躍る時間・・・。私の中に培われてきた写真の時間は、今でも変わらない。ギャラリーのガラス窓に乱反射する写真たちを見ながら、私は私の時間を逆送していた。

やなぎみわさんの作品は、私の現在の関心事とは別の所にあったと正直に思う。目指している地点が違うのだろう。会場でやなぎさんに、写真家の人たちも美術の方にもう少し歩み寄ってきてほしいナと言われたが、はたしてそうなのか。お互い知れば知るほど、遠ざかってしまうような気がする。会場には美術関係者も多く訪れていたが、作品を読むコードが大きく違っていると感じた。たぶんそのことを実感している人は少数だと思うのだが、そこに現在の写真のおかれている状況の難しさがあると思った。そのことで私は少し暗くはなったが、新たな力も沸いてきた。「私はやなぎみわの作品がわからない」これはやなぎさんの仕事を認めた上での、写真家としての私の本音だ。 CG という、やはり人さし指ひとつで世界を構築するやなぎみわさんとの展覧会は、私に様々な思いを抱かせてくれた。それだけでも価値ある展覧だった。(6月9日)

気がつけば 6月も半ば・・・。後ひと月もすれば、夏だ。今年の夏は子供と富士山に登る約束をしているので、パソコンですっかり鈍ってしまった身体を回復させなければと考えている。とりあえずは自転車か・・・。高校時代、百合ヶ丘の伯母の家に下宿していたのだが、その当時はまだヨチヨチ歩きの子供だった従兄弟から E-mail をもらった。つい最近インターネットを始めたとのこと。身近な人からの突然のメールは嬉しいものだ。今は立派な歯医者として独り立ちしてるらしい。私は歯科大中退だから、私のぶんまで全うな人生をと願う。

谷口 雅さんのホームページがつい最近オープンしたが、若い写真家の情報が満載で楽しい。最新式のスタイルシートを使った大変凝ったデザインで、苦労のほどが偲ばれる。長い間、お休み中だった飯沢耕太郎さん監修のホームページも再開されたようだ。 Web 上に本格的な写真のサイトができるのは嬉しいことだ。写真のホームページは星の数ほどあるけれど、シリアスで真摯な気概に溢れたものはまだまだ少ない。 Web は、サブでお遊びという時代はそろそろ終わりにしたい。自らデジタル環境の真っただ中を生き、その過程で生みだされるアクチュアルな表現を私は見たい。(6月13日)

父の日に、久しぶりに息子と会った。多摩川でのんびりと釣りをした。3時間ほどで私が2匹、息子が1匹のオイカワを釣った。水槽には一匹のクチボソしかいないので、これで4匹になると息子はとても喜んでいた。帰りがけ、明太子スパを食べて「じゃーまたな」と言って別れた。(6月23日)

最近、車があちこち故障する。9万5000キロ近く走ったから無理もない。この間もパワーウィンドーが突然、閉まらなくなった。クーラーも利かない。ディーラーに修理の見積もりをとったら20万円近くかかるという。「ボッテルナ」と感じて、窓の修理だけにした。クーラーは、配管のネジを自分で増し締めして近くのスタンドでガスを充填してもらった。3800円だった。その後、一週間クーラーはガンガン利いている。やはり車は、自分で面倒見るのが一番のようだ。幸いエンジンは調子がいい。あと2〜3年は乗りたいから、直せるところは自分で直すと覚悟を決めた。早速、プラグコードやフィルターやらを取り寄せてリフレッシュ作戦にとりかかった。楽しみがまた増えた。(6月25日)

作っては壊し、作っては壊し「デジタルの箱庭」はなかなか完成しない。世界中に星の数ほどある「デジタルの箱庭」その中を覗いてみれば、そこにこの時代の私たちの無意識が反映されているのではないか・・。精神医学的観点からホームページを覗いてみるのも面白そうだ。バーナーやアイコンなどホームページを構成する様々な部品が、いつの日かこの時代を語る貴重な資料となるかも知れぬ。そうした意味では、専門のホームページ研究家、評論家が出現してもよさそうだ。

昨日、谷口 雅さんより9000回目のカウントをゲットしたとメールをもらった。きっと何かいいことあるでしょう・・・と返事を書いたが自信はない。(6月29日)

写真を言葉で読み解くことは、難しい。「意図・作為・・・」ととりあえず言葉を発したとたん、写真はスルリと逃走を開始する。

私が写真を見るときの態度は、音楽を聞くときのそれに近いものがある。身体全体でその波動を受けとめるとでも言おうか・・・言葉は、すでに後退している。写真を撮るときも同じようなものだ。明快な意図、作為等が私の中に存在するわけではない。撮ろうとする意志だけが存在するとでも言おうか・・・。写真を前に、私は言葉を失う。その心地よさ。写真を見る、撮るよろこびとはたぶんこういうことなのだろう。言葉や理屈によって組織、統合される写真は、それ自身にとって不幸なことかもしれないとフッと思う。言葉からもっとも遠くあるべきはずの写真が、言葉によって規定され言葉によってがんじがらめにされる・・・そうした事態からの回避。しかし、私たちの思考体系が言葉に依存している以上、言葉から逃げ去ることはできない。言葉はそれほどまでに私たちの深部に入り込んでしまっている。しかし、それでも尚「言葉はむなしい」と思えることがあるのはなぜか・・・。語れば語るほど、故郷は遠くなる。

組織、統合されるのではなく、孤立すること。互いの孤立をあらわにすること。そうでなければ前には進めない。私たちは今そんな時代にさしかかっている。(6月30日)

言葉じゃなく、言葉よりも先をゆくもの。理屈じゃなく、理屈より先をゆくもの。私は昼からビールを飲んでは、暑さをやりすごしている。窓辺に寄せる午後0時の日差しは強烈だ。古いサンタナの曲を聞きながらボンヤリと我を捨てる。今年も夏がきた。(7月4日)

写真学校で若い人たちと接する機会も多いが、こちらが無理してつくろっても歳の差は隠せない。私もかつてこんな日があったなと、過ぎ去った時の重さを噛みしめる。中年には中年の風景があるのだ。私は今、その在りかを探し始めている。柔らかさが消えてゆく肉体。それと反比例するように、精神は柔らかを求めているのか。いや、歳とともに精神は柔軟さを増してゆくのかもしれない。在るがままを受け入れるといった境地にはまだなれないが、ありのままの自分を受け入れて歳とってゆくのは、素敵なことだと思う。「中年には中年の風景があるのだ」私はこの言葉を反芻する。いたずらに若さに迎合するよりも私は私の在りかを独り勝手に探し続ける・・・そんな中年でありたい。(7月6日)

季刊・武蔵野美術109号が「写真の状況」という特集を組んでいる。デジタル時代突入を前にして、写真の変容について多くの論者が意見を述べている。その中で、25人の写真家にデジタル状況についてのアンケートを実施しているが、そこに今のわれわれ写真家のおかれている状況が見てとれて面白い。文面から集計するとデジタル写真反対派9名、どちらとも言えぬ派13名、積極的肯定派3名という結果だ。ちなみに積極的肯定派は、所幸則、遊佐辰也、そしてこの私。ここに反対派からの意見を一部拾ってみる。

「・・・デジタルカメラの最先端性が最先端ゆえの孤独な不安さに、安易な根拠探しを行い、その最悪な根拠の肯定の上に無自覚な作品作りがなされるのは目に見えるようではないか・・・」「・・・いつになったら表現はそんな新しさから解放されるのだろうか・・・」「・・・しかし私はデジタル処理で作った人工的な作品より手作りのオリジナルプリントの美しさに魅せられてしまう・・・」「・・・創造することとは違う行為のように思えて仕方がない」「・・・だけど私は本当に大切な写真の良さは絶対にコンピュータではつけ足せないとおもいます・・・」「・・・私にとっての写真の質とは、解像力とトーンのこと。この質においては、デジタル技術は銀塩写真に遠く及ばない・・・」「・・・デジタルは写真家のする作業とは到底おもえないのです・・・」

私にはこれらのつぶやきが、自らのアイデンティティーを必死で守ろうとする今日の写真家の悲鳴のようにも映る。デジタルの出現によって、私の消失、オリジナル性の消失、物質性の消失、中心性の消失・・・と、なにしろ消えていくことばかりが目立ってしまうのだから・・・。しかし、そんな中で港千尋氏の「コンタクト」と題された論文中の言葉がとても印象に残った。

「・・・デジタルイメージが抱えている、非物質性は、やはり写真という痕跡の時代のあとに来るべくして来たものである。だからもう、後戻りはできない。物質的想像力のあとには、非物質的な想像力の発見がなされなければならない。光とは別のものが、触れにやってくる、あるいは探しにゆくような、新たな表現が可能にならなければならない・・・コンタクト・港千尋著より」

そう、後戻りはできないのだ。今、私たちに必要なのは現状の否定ではなく、希望だ。

「・・・コンピュータがもたらした最大のプレゼントは、もはや何も新しいものは生まれないという残酷にして晴れやかな不妊の告知ではなかったか・・・写真使用法・倉石信乃著より」

だとしても、今を生きなければならない戦場の写真家は希望を求める。たとえそれが不毛の戦いだとしても、私は走り受胎を試みるだろう。それが写真家というものだ。言葉より先をゆく何千、何万という無形の写真世界をわれわれは生きてきたのだから。(7月8日)

CD-R を買ってきた。たまりにたまったデジタル写真をバックアップしてひと安心。そのうち CD-ROM 写真集でも作ろうかと思っているのだが、なかなか大変そう。とりあえずは、CD からお気に入りの曲をピックアップして私専用の CD を作って悦に入っている。まだこんな使い方しかできないのが、悲しい。

夏の日の午後は、ゆっくりと過ぎてゆく。夕刻の黄金色が私を包む頃、ボンヤリと何をするでもなく、なじみの曲に耳を傾けながらビールを一杯。郊外の街の暮らしはたいくつだけれど、そのたいくつさがいい。ボンヤリと・・・退屈に・・・妻と二人。(7月14日)

家族と言う名の最小単位で構成されている郊外の街に、地域共同体としての繋がりを期待することはもはや幻想にすぎない。家族もまたバラバラに寸断されている今日、私たちに残っているのは粒子としての個を生ききるしかない・・・ということだろう。粒子の時代、暑い一日。(7月28日)

のっぺりとした郊外の街。何年住んでも、あまり愛着のわかない不思議な街。車を走らせながら、フッとここが何処で、なぜ私はここにいるのかわからなくなる。バーミアン、スカイラーク、ローヤルホスト、セブンイレブン、ファミリーマート・・・・。店の名前はしきりに自己主張するけれど、みな同じように均質化されている。何処へ行っても同じような街並み、同じような人々・・・。とりあえず車は走り続ける。その先に私の家があるのか、定かではない。(8月7日)

竜宮城に遊んだ浦島は自ら玉手箱を開けることによって、見失っていた自己を回復する。遠ざかっていた現実が老いた身体と共にまい戻る。見知らぬ風景、見知らぬ人々・・・。もはやそこから逃げ去ることはできない。孤独な老人になるためのレッスン・・・。(8月12日)

韓国だったかどこだったか・・・美術館内に多量のバクチクを仕掛けて次々と点火させるというパフォーマンスをテレビが伝えていた。詳しいことはわからないが、それを見て素直にアホラシーと思った。美術館とバクチク、この妙な組み合わせをわざわざ実行しなければならない今日の美術の陳腐さ・・・。美術が単に空間を満たすためのショーやディスプレーションになってしまったということか・・・。場を見栄えよく飾るためだけのインスタレーションのなんと多いことか・・・。目立つこと、他との差異を優先させること・・・そろそろ我々はそこからの脱却を試みるべきではないのか。場所、空間、器、そうしたものから自由になることは可能だろうか。脳から脳へダイレクトに染み渡るような表現への渇望。どうやらあの美術家は、選択を間違えたらしい。バクチクと爆弾を・・・。(9月3日)

家の周りでは、もう秋の虫たちが鳴きだした。ツバメもどこかに行ってしまった。夏はいつもあっという間に過ぎてゆく。見渡せば世の中、嫌なニュースばかりだ。茶の間の飲料水から北朝鮮のミサイルまで、我々人間の作りだす欲望の道具たちが未来を暗くする。結局、いつの世も人間、あまり変わらないということか・・・。そう考えると夢も希望もなくなる・・・。とりあえず、天気だけでもカラッと晴れてくれないものか。(9月6日)

インターネットは人を孤独にする。そう言われて久しい。しかし、ものを創る人間にとって、独りというのは当たり前のことだ。孤独さは内面の充実感と一体となっている。モニターの向こうに拡がる網の目を、私のシグナルが駆け巡る。時には地球を何周もして、再び私の元へと還ってくる。そこに見るのは、まぎれもない私自身の姿だ。誰に向けるでもなく、私は私に向けて矢を放つ。この途方もない往復運動。その果てに何があるのか・・・それを考えるよりも今はとにかく走り続けたい。インターネットを他人とのコミュニケーションの手段として利用するのは間違いだ。ネットにそれを期待したところで、おそらく得るものは何もないだろう。コミュニケートすることを前提とするのではなく、コミュニケートの不可能性を明らかにすることからWebの表現を考える・・・。ネットにかぎらず、我々はみな孤独だ。酒を飲んでカラオケを歌ったところで真の充足感はやってこない。憂さ晴らしに遊び半分でインターネットをやってみたところで、すぐに飽きる。心の深いところに目的を持っていなければ、長くは続かない。モニターの向こうに他人の顔を期待するのはよそう。もっと孤独に、もっと勝手に・・・。行くでぇー・・・。(9月15日)

台風もあっけなく行ってしまった。ゴーゴーと唸る風の音を聞きたかったのだが・・・。世紀末の風は、洗脳だの精神セミナーだの、怪しげな商売を運んでくる。「世の中にはとんでもない所にとんでもない仕掛けがしてあるんだよ」と誰かが言ってたけれど、他人と自分の区別がつかなくなるほど物事を信じこんではいけない・・・と常々思う。疑うことをせず、ただ盲目的に他に従うことは愚かなことだ。無宗教を糧とする私には、精神のよりどころとするものはこれといってない。しかし、私はそのことを恥じてはいない。台風が去った後の嘘のような青空。ほんとに嘘のよう・・・。世の中なんてこんなもんサ。(9月16日)

写真学校の合評会で若い人たちの写真を数多く見た。いつものように都市の盛り場での群衆を近距離から撮った作品と70年代初頭のようなハイコントラストのスナップ写真が目についた。写真の基本はスナップショットだとよく言われるが毎年毎年、同じような群衆写真を見せられるといいかげんウンザリしてしまい、言葉も少なくなってしまう。写真、都市、盛り場、群衆というお決まりの表現はいつまで続くのか・・・。私たち講師は、形骸化した表現を知らず知らずのうちに生徒たちに押しつけているのではないか・・・。そんな思いを抱き、少し暗くなった。合評会の後でひとりの生徒からメールをもらった。そこには今の学校教育に体する疑問が、切々と書かれていた。表現の硬直化をみじかに感じているのは、実は生徒自身なのだ。写真は何をどう撮ろうが自由なのだから、やりたいことをやりたいようにやればいいのだけれど、そうできない何かがあるということだろうか。(9月21日)

海外向けホームページのアクセス解析ログをひさしぶりで調べたら、50カ国ほどの国名が出てきた。けっこういろんな国の人達が見ているものだ。月に何通かのメールも届く。先日もスペインから very interesting とメールが届いた。差出人のホームページをのぞいたらとても美人なお姉さんで、さっそく「大変きれいな方ですね」と返事を書いた。インターネットはマイナーなメディアかもしれないが、使い方によってはグローバルな拡がりを期待できると感じる今日この頃。それにしてもまた雨ばかり・・・透明な青空が恋しい。(9月22日)

今週は若い人たちの写真をいろんな所で数多く見る機会があって、めずらしく忙しかった。様々な写真を見て、それを言葉にするということの難しさをあらためて痛感した日々でもあった。写真を見ても私はなかなか具体的な言葉が出てこないタイプだ。写真を見て、すぐさま断定的な言葉をくだせる人をみるとほんとにうらやましいナと思ってしまう。断定的に言い切ることが、良いことなのかは別の話だけれど・・・。私の恩師である、重森弘淹先生はあまり口数の多いひとではなかった。写真を持ってゆくと「ウン、今回はいいね・・・」ぐらいのものであった。でもその一言が、どれだけ励みになったことか・・・。もう一人の恩師、佐野 寛さんも、決して断定的なものの言い方をしない。佐野さんには私が歯科大在学当時からずっと写真を見ていただいているのだが、当時から写真を見るときは「こうしなさい」とか「こんな風に撮れ」とかは決して言わない人だ。いつも静かに写真を見、その写真から受けるご自分の思いや社会のことを淡々と述べてくださる。写真の道に進もうかと迷っていた頃、その柔らかな言葉がどれだけ励みになったことか。写真をアドバイスするということは、やはり難しい。知らず知らずのうちに相手を自分の色に染め上げてしまうこともあるだろうし、自分の一言が相手のせっかくの個性を殺してしまうこともあるだろう。そうならぬよう、心掛けたいのだが・・・。(9月27日)

対象との幸福な関係を結べなかった世代が、沈黙の淵へとかけ降りていったように・・・。 写真を撮らないことが究極の表現だなんて、あまりにロマンティクすぎて涙も出ない。 出口の無さに、この世で一番ラジカルなのはグレーの背広にネクタイ姿のサラリーマンなんだと叫んだところで、出口はいっこうに見えてはこなかったように。 70年代的感性の呪縛から逃れられないまま、とりあえず電車は走り続ける。 私もまた、秋風の中。(9月30日)

遠く、遠く、どこか遠い所。秋は遠くが気になる季節だ。「ここじゃない、もっと遠くを僕は探した・・・」そんな歌を聞きながら、私はどこへも旅立たない。心の奥底に降りてゆき、記憶のカケラを拾い集める。(10月3日)

「多くの芸術家は、ひとつのスタイルを完成しそれが世の中に認められるとそれに固執し、そのスタイルを維持することに力を注ぐようになる」と誰かが言っていた。見る側も、いつものスタイルを確認することで安心する。そうした堂々めぐりが今のアートといわれる世界を形づくっているのだろう。最も自由であるべきはずのアートが、ベルトコンベアーによる大量生産システムとなんら変わらぬ工房と化す。パンクやヘビメタが偉大なるマンネリのタコ壷の中で少数の愛好者によって溺愛されているように・・・それはあまり気持ちのいいものではない。いまやアートも、タコ壷に入りつつあるということか。

「システム」・・・アートもまたシステム化の道を進んでいるようだ。システムの中で機能し、システムの中で語られるアート。来たるべき21世紀、システム化は益々強まるだろう。と同時にシステムの崩壊もまた始まるだろう。そうでなければ、私たちの未来はあまりに暗い。(10月5日)

写真のリアルということを、ここのところ考えている。「撮ってるときの私の動きや移動の証のようなものをとらえたい」とある写真学生が語っていたが、そうしたリアル感への渇望が最近、若い世代を中心に高まっているようだ。生の現実感を得たい・・・この身体で体感したい。それを写真の上でも実現したい・・・。それは、ミュージシャンと観客がライブで一体となるときのような高揚感と言っても良いのかも知れない。しかし、印画紙上にそれを求めるのは、やはり無理がある。撮影者の汗をよそに、写真はいつも静かにそこに在る。冷ややかといってもいいほどの静けさ・・・。撮影者の不在・・・。リアルの不在・・・。

私は、ジャズやロックを聞くのが好きだ。ミュージシャンのように観客と一体となって、つかの間の時を過ごせたらどんなにいいだろうと思う。それに較べ、写真はいつも独りぼっちだ。写真にリアルを取り戻そうと、勢い表現主義的になったり、政治的関心事に向かうのは良くあることだ。表面的なリアルを追及するあまり、リアルさを装った過剰さだけが独り歩きする。しかし、リアルは永遠にやってこない。私は、どこにもいない私を写真の中に発見する。アッジェやラルティーグやエバンスの写真は、みな独りぼっちで輝いている。その静けさの中へ、私は降りてゆきたい。

リアルとは別の、何か違う、夢のような、幻のような・・・。(10月10日)

どちらがこの世で、どちらがあの世かわからなくなるほどに不確かな世界を人は生きている。生まれる前のことは、何ひとつ知らない。死んでからのことも、何ひとつ知らない。両者の間にポッカリと開いたほんの束の間を人は生きている。80歳になる老人が呟いた言葉は「何もかもが、夢のようだった」18歳の若者もまた「何もかもが夢のようだ」・・・・。どちらの言葉も真実を語っているように思う。(10月13日)

谷口 雅さんとホームページ上で FAX コラボレーションしている大橋 愛さんからメールをもらった。どうやら i-Macを買ったらしい。めでたい ! 近頃、ネット上でのコラボレーションがトレンドになりつつあるか・・。谷口さんと愛ちゃん、榊原陽子さんのページでは、アメリカに住む女の子と写真のコラボレーション、そして私は、楠かつのりさんと中年の男どうしのコラボレーションときた。コラボレーションは、どこか心を和やかにさせる。相手がいて、自分がいるということの再確認。自分とは違う感性を認め、そこから互いに何かをひきだしてゆく。なれ合いは禁物だけれど、適度な緊張関係を保つことで創造的行為を継続できれば・・・といったところかナ。写真学校の在校生や卒業生のホームページもボチボチ増えてきて、来年は賑やかになりそうな予感。嬉しいことです。(10月18日)

インターネットを使って写真を発表するとは、どうゆうことなのかをいつも考えている。これまでは写真の発表といえば、雑誌や写真集、写真展に限られていたのだけれど、それにインターネットが加わったわけだ。コンピュータは普及したとはいえ、まだ誰もが持っているわけではないし、その中でシリアスな写真に興味を持つひとたちは極々少数だろう。受け手の顔が見えにくいネットは、作り手を不安にしたり、憂鬱にしたりするが、シリアスな写真の分野はもともと一般的な社会からみれば少数派だから、あまり気にはならない。昔、入場者が一日、一人か二人という個展もあったことを思えば、どうってことはない。多くのひとに見てもらうより、まずは自分自身に向けてというのが表現の基本なのだと思っている。ただ、ネットは、一般的な場からみれば閉鎖的な匂いのする特殊な場所とみられがちだ。先日も、あるひとから「インターネットでの写真発表は、閉じた回路の中での自閉的行為では・・・」と言われた。それは、予想していた意見とはいえ、少し寂しく感じた。

ネットに全てを託すのではなく、あるひとつの拡がりや可能性を試す。そうした試みは、今始まったばかり・・・。(10月23日)

今日は思いがけず昔の写真学校の同期生から電話をもらった。東川・新人賞受賞者の蓑田貴子さんだ。最近iMacを買って、毎日、ホームページを見ているとのこと。写真の方は、子育てが忙しくしばらくご無沙汰していたが、そろそろ再開しホームページでも写真を発表したいと意欲満々の様子。子育てに一段落した主婦のパワーは凄いものがあるから、今から大いに楽しみだ。23日の HomePage に寄せてに書いた「閉じた回路の中での自閉的行為では・・・」にふれて「ぜったいそんなことないから、がんばんなさいよ」と励ましの言葉を頂戴した。グッドラック !(10月26日)

昨日は、久しぶりに子供と多摩ニュータウン近くの多摩川に釣りに出かけた。決してきれいとは言えない水辺で終日のんびりと釣り糸を垂れた。子供の頃は、故郷の川でよく釣りをしたものだ。私が子供に教えてやれることは、これぐらいしかない。

このホームページに連載している「風景の被膜」が、思いも新たに三シリーズ目に突入した。 Web 上での展開は、スリリングで先の見えないところがいい。12月31日までを目処に創作を続けます。スリリングといえば、佐藤淳一氏のmicrotopographic web で新シリーズが始まった。Webでの可能性を探る試みに溢れていて楽しい。(11月2日)

「・・・1992年になると、中立化しようにも、中立化すべき現実がそこにもうない、そういう新しい事態が現れる。現実が現実らしさを失い、現実と風景にこれまであった対応関係が消滅すると、いわば風景はここで一度"風景の終わり"を経験するのである。ここで1992年ということで、わたしはこの年の"風景の終わり"ということをテーマに開かれたといえるオランダ・ロッテルダムのフォトグラフ・ビエンナーレのことを頭においている・・・1994/アサヒカメラ特集・新日本風景論より抜粋」 

昨年もこの欄でふれたが「終わり」以降の風景と題して書かれた加藤典洋氏の言葉だ。「終わり」以降の風景観をどれだけの写真家が身を持って体感しているかは疑問であるが、時代は確実に「終わり」以降の風景、そして写真を我々に求めているようだ。"風景の終わり"は、"写真の終わり"と微妙にクロスしながらその先にある不定形のデジタルワールドへと変化してきた。いや、しつつある。このことに関しては、まだ多くの写真関係者は半信半疑の状態だ。しかし、この何かが終わりつつあるという予感のようなものは、我々の心の奥底に住みついて離れない。日本においてこの「風景の終わり」が写真論的に真摯に語られることはなかった。ニューカラーやニュートポといった表層的な面ばかりが独り歩きし、本質を置き去りにしてきたのだ。1998年、すでにニューカラーもニュートポもコンストラクテッドも死語に近い。そして、風景亡き後のニューエイジ・フォトグラファーたちはどこへ向かうだろうか。 イメージ・・・イリュージョン・・・私・・・リアル・・・。

そろそろ我々は、サヨナラを言わなければいけない。何に向かってサヨナラを言うのか・・・その答えを問われる日がすぐそこまで来ている。(11月5日)

今はまだ銀塩写真の世界からデジタルを俯瞰する状況にあるが、そのうちデジタルがあたりまえになればデジタルの側から銀塩写真を俯瞰するといった逆転が起こる。それはもう意識の潜在下で始まっているかもしれないが・・・。そのとき、写真がたどった表現の軌跡がいちど総括されることになる。私は写真表現の当事者だから、写真世界を遠くから眺めるなどということはなかったような気がする。しかし、デジタルの出現で、自分のしてきたことも含めて写真というものをもう一度とらえ直す機会に恵まれたように思う。今、これまでやってきた写真をひどく遠くのことのように感じている自分がいる。そうした状態はここしばらく続いてゆくだろう。たぶん写真に限らず、美術表現全体の問題としてこれまでのありかたが総括されることになるだろう。社会の中での作家の在り方、制度 (システム) の中での表現、美術館、ギャラリー、その他全てのものがこれまでとは少し違う方向へとシフトし始めているようだ。面白い時代になってきた。(11月19日)

「これまでやってきた写真をひどく遠くのことのように感じている自分がいる」と前回書いたが、そうした思いは日増しに強くなるようだ。もうすぐ年の瀬を迎えるからだろうか・・・。写真学校で生徒の写真をたくさん見ても、何か自分の気持ちにフィルターが一枚かかっているようで心に響いてくるものがない。オーソドクスといえばよいのか、スタンダードもしくは保守的といえばよいのか、教えられる写真というものを信じて疑わない従順さが私をイライラさせる。時代は決してそんな気分じゃないはずなのだが・・・。いつのまにか先生などと呼ばれている自分がたまらなく嫌になる。ため息の夜。(11月26日)

システムの中でうまく立ち回ることが良いことなのか、私にはわからない。そのことから、あえて離れるということも選択のひとつなのだ。言葉や理屈ではなく、人はフッと心に思い描いた無意識の中を知らず知らずのうちに生きているものだ。こうして今あるのも、私の中の無意識が折々に選択してきた結果なのだ。

連日気持ちのよい青空が続いている。その青空に誘われて150万画素のデジタルカメラを買った。デジカメはこれで3台目だ。デジカメを携えて郊外の街をウロウロするのはなんか変な気分だ。その変な気分は、決して悪い気分という訳ではない。銀粒子のツブツブがギザギザの四角い箱に変わったということへの戸惑いと好奇心。風景をデータ走査してゆく行為は、自分がバイキングやボイジャーになった気分でどこか宇宙的・・・。そんなこんなで今年も暮れてゆく。(11月28日)

「そのほとんどはジャンクだ・・・」などと言われて久しい Web であるが、そんな中にもキラキラ輝く好奇心おう盛なページに出会うと思わずホッとする。 Web で写真を発表したり、発言したりすることは表現者としてある種のリスクを伴う。そうした状況はここ当分の間続いて行くだろう。ただ、私はそのことに関しては、あまり深刻には考えていない。発表の場がひとつ増えたと思う程度のことなのだ。実質的な実りを期待するなら、ギャラリーでの写真展の方が有効的だろう。ただ私の中では、従来のような形では写真展というものにあまり興味を持てなくなってしまっている。だからといって Web 一本やりというわけでもない。「実行力を持たない Web ではなく、実行力を行使できる場で動くべきではないのかとい う(当然の)疑問が出てきている。・・・」しばらくお休み中だった谷口雅さんのホームページの言葉だ。これは、写真家としてというより、プロデューサー、評論家としての谷口さんの言葉なのだと解釈した。システムの中での実行力という面では、確かに Web はあまりにも非力だ。 Web が外部と豊かな水路でつながれ有効性を持ちうるには、今しばらくの時間と工夫が必要なのだろう。と同時に外部のシステム自体も変わっていかなければ何も始まらないとも思う。その外部のシステムを考える場としては、Webも捨てたもんじゃないと思うのだが・・・。(11月30日)

もう12月だ。昨日から新しいサイトに移動した佐藤淳一さんの「記憶型境界線」は Web での発表を照準に定めた、とても興味のある展開となっている。写真的な記憶と自己の内在的な記憶そしてデジタル的記憶のせめぎ合いが、日々モニター上に映し出されていく。それはピンホールカメラの内部に最新式の CCD を設置したかのような面白さだ。佐藤さんはこのところ、デジタル的感性を自らの中へ積極的に取り入れようとしているようだ。そうした意欲がページの隅々に溢れている。クリックすると消えてしまう映像は、見る者の意識を次の展開へと導く。そのスピード感は Web ならではのものだろう。一方、アメリカ在住の Esmix と激しいメールのやり取りの中から生まれた榊原陽子さんのコラボレーションは、Web ならではの空間を飛び越えた時間の混乱とでも言うべき面白さが私をひきつける。言葉と映像がマガジン雑誌のように賑やかに発光している。ダイナミックなページ構成も清々しい。こうしたお二人のように、Web 的感性とでも呼べる何か今までとはちょっと違う新しい可能性をモニター上にみつけると嬉しくなってしまう。海の向こうの =========E_1_3:::: は新しいバージョンになりいっそう難解さを増した。ビックリ箱の中の迷路のようで思わず私を見失う。ここまで行くとちょっと遊びすぎかな・・・。ともあれ、もうすぐ新しい年だ。いつまでも後ろを向いてないで、何かの始まりに期待したい。(12月2日)

昨日、アメリカからメールが届いた。「君のページが気に入ったからリンクしてくれないか」とのこと。遥々海の向こうから届くメールは嬉しいものだ。早速、私も差出人のホームページを覗いてみた。その中で、彼のバイオグラフィーが目にとまった。

「私は1937年、オハイオ川が大洪水の年にオハイオで生まれました。私の父、ビルは、1913年にマイアミ川が大洪水の年に生まれました。父は、1930年代初期に写真撮影を始めました。彼は1946年に赤ん坊専門の写真スタジオを始めました。彼は、アメリカで最初の赤ん坊専門のカメラマンでした。ストロボは熱く眩しいライトを使わなくとも撮影を可能にしました。パパは、アートを愛していました。彼が死ぬまで私たちはシンシナチのアートミュージアムを一年に二度、訪問しました。パパは、博物館で写真の全てを知っていました。1950年に私は彼のスタジオで働き始めました。1950年代に私は多くの水中写真の仕事をし、また特注の水中カメラケースの製造をしました。1960年代、私はモノクロのラボとスタジオを経営しました。1976年に私はデイトン力戦隊の海軍中佐を歴任しました。私はプロカメラマンオフィスの社長として仕事をしました。そして1980年代に私は、デイトンオハイオで古いカメラクラブに入りました。私はそこで多くのものを学びました。1990年初期にアトランタでアドビ・フォトショップのデモンストレーションを見ました。それは驚きでした。私は一年後、コンピュータを手に入れて特殊な効果について研究し始めました。私は今、特別製のコンピュータ、233Intel・CPU、二台のモニター、256のRAM、9GB のハードディスク、エプソンのプリンター、ソニーのCDライター、ワコムのペンを使っています」

このバイオグラフィーを読んだとき、私は何かほのぼのとしたものを感じた。彼のホームページは、お世辞にもセンスがいいとは言い難いが、いかにもアメリカ人らしい素朴さに溢れていて心が和む。コンピュータの前に座る彼の写真、家族の写真、友達の写真、彼が一生懸命作った CG 作品・・・。私は彼のことを何も知らない。けれども、モニター上に光り輝く写真やイラストや文字が、ひとりのアメリカを生きた男の半生を語ってくれている。たぶん彼は今、人生の週末を静かに楽しんでいるのだろう。私はそんな彼がちょっぴりうらやましい。そして、そんな彼からメールをもらったことをとても嬉しく思った。(12月6日)

元旦からこのホームページを新しくしようと思っている。デザインの大きな変更はしないけれど、細かな所を手直しして新シリーズも開始する予定でいる。新しい年からは、専用ドメインでの運用も考えている。 Web を一年半ほど夢中でやってみて、なんとなくリズムがつかめたような気がしている。来年からは、街のギャラリーでの発表もふまえて、統合的な表現をと思っている。

ギタリストの鈴木宏幸さんからオリジナル録音の CD をプレゼントしていただいた。「ホワイトクリスマス」や「ジングルベル」「ムーンリバー」などの曲が、ウクレレでぽつねんと演奏されている。大人のつぶやきといった趣の、寂しくも温かい音・・・。曲を聞きながら、手回しの蓄音機で童謡を聞いていた子供の頃を思いだした。廊下の片隅にポツンと置かれた蓄音機。繰り返し聞いた「月の砂漠」・・・。はるか遠い昔のこと。(12月12日)

連日、気持ちの良い青空が続いている。私はやっぱり青空の下で写真を撮るのが好きだ。曇りや雨の日は、どことなく気持ちが後ろを向いているようで嫌なのだ。陽光の下、アッケラカンと物がそこに在るのが好ましい。そういえばオーディオの音にも好みがある。たとえば JBL のスピーカーは、アメリカの西海岸らしい明るく大らかで乾いた音がする。タンノイのスピーカーは、重厚でやわらかでクラッシックを聞く人たちに人気が高い。私は JBL の明るく、屈託のない音が好きだ。その微妙な音の違いというものを気にしだすとオーディオマニアの道へまっしぐらとぃぅことになるのだろうが、悲しいかな私には金がない。(12月15日)

ぽっかりと穴の開いたような空っぽの時代。こんな時代には必ず、その真空を埋めようと「リアルさ」への渇望が生まれてくる。生々しさや荒々しさへの希求、無邪気な自然志向、血と大地への回帰、リアリズムという美学・・・・・(写真的まなざしから遠く離れて・大嶋 浩著より)

大嶋氏が言うように「写真」が「リアルさ」を必死でつなぎ止めようとしている。それが今という時代なのだ。表面的な表現主義、印画紙上のリアリズム主義 (モノクロ写真) そうしたオーソドキシーこそがラジカルな写真なのだという再生産主義・・・。しかしながら、つなぎ止めようとしても「リアルさ」はスルリと逃げてゆく。今、写真のリアルさは、巣立ちのときをむかえようとしているのだろう。いっそ、カゴの中に閉じ込めてしまおうか・・・けれども、もうカゴ (現実) がどこにもない。さあー、どうする写真家よ。解き放してやる勇気はあるか・・・。来年は、そうした問いかけを自身に繰りかえす日々になるだろう。「リアルさ = 写真」であった時代「リアルさ = 写真を撮ること」であった時代は過ぎ去ろうとしている。今までとは違ったやり方で、新たな試みを我々は模索しなければいけない。そうした無邪気さこそが未来を切り開いてゆく力になると信ずる。そうした意味で明日出掛ける「電子の仕草・展」を楽しみにしている。(12月18日)

伊奈英次が i-Mac を買ったらしいという噂はまたたくまに拡がった。彼が海外で出版した写真集が届いたのでお礼の電話をしたら、やはり噂は本当でiMacを前に奮闘中だった。いよいよ第三次パソコンブームの到来か。写真集は印刷も奇麗でなかなかの出来。まずはめでたい。一昨日見た「電子の仕草・展」は、とりあえず前を向いて走ってゆこうとする姿勢が私にはとても心地よかった。会場ではデジカメ談義に花が咲いた。「明日ぜったいデシカメ買っちゃう」と向野さん。年の瀬に夢が拡がる。(12月21日)

今日で「風景の被膜・3」を終了しました。新年より新たに「風景の被膜・4」を始める予定です。このホームページ開設より続けてきた「サンデーファザー・サンデーチルドレン」のシリーズは今年で一応、お終いということにしました。彼もそろそろ思春期、この辺でカメラを置きます。

家の中もWebも大掃除の真っ最中。押し入れや物置部屋は、写真の大型パネルや額でいっぱい。写真展をやる度に増え続けてきた用済みの作品、どうにかならないものか・・・。その点、 Web はとりあえず CD-R にコピーしてお終い。コンパクトさは最高です。(12月25日)

新聞には「毒ネット」などと派手な見出し。ネットが毒なのだと言わんばかり。しかしながら、ネットは毒でも薬でもない。電話を使った犯罪や郵便を使った犯罪のように、それは別に特殊なことではない。インターネットには闇の部分がある。その闇を奪ってしまったら、無味乾燥なデータの受け渡しに終わるだけだ。闇は闇として残しておかなければ、最も大事な自由もなくなる。infoseekでキーワードを「自殺」として検索してみると24262件と出た。「生きる」で検索したら40037件と出た。「死」で検索したら39980件。「生」と「死」がほぼ同数、その中間に「自殺」・・・。これは、とってもバランスのとれた数値だと思う。生を考えるのも死を考えるのも、人間としては正常な行為だ。そうした「考察する自由」というものがインターネットにはあるということが重要なのだ。ネットから死や自殺やセックスといった言葉が消えることこそ危ない。(12月27日)

 

1998年1月1日から12月27日までの文をそのまま掲載しています。

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