1997年のホームページに掲載した文章   小林のりお

結局のところ、デジタル信号は巡り巡って自身の元へと帰ってくるだろう。窓としてあるべきインターネットが、鏡としての機能しか持たないということか。そんな合わせ鏡のような世界の中に、私たちは生きている。

今、私たち写真家に求められているものは、積極的な孤立であり孤独だろう。ファインアートとしての写真が、まるで商品のように流通して行くなかで失ってしまったもの・・・。密やかさ、マイナーであることへの誇り・・・ それらを取り戻すためにはどうすればよいのかを、私たち写真家のひとりひとりが問われている。

かつて、原付きバイクに大型カメラを積んで走り回った多摩ニュータウンの一角を今は息子と二人でブラブラと歩き回っている。当時を偲ぶ造成途上の荒野のような風景はあまり見られなくなったが、ときおり吹く風の匂いに、ふっと昔を思い出したりする。私の中のランドスケープは、もう終わってしまった。今は、それ以降の風景の中を歩いていたい。息子の写真を発表することが良いことなのか、正直なところあれこれと思い悩んだがポジティブな形でしばらくは撮影を続けたいと思っている。(1997年5月22日 ホームページ開設日)

5月22日にこのホームページを開設して、10日ほどがたちました。マック初心者の私ゆえ、できるだけ余分な装飾を避けシンプルなページ作りを心がけました。 今後どのように展開していくかは未知数ですが、なるべく月1回は更新をしたいと思いますので、みなさん、ときどき見にきて下さい。(6月1日)

個展などを通じた作品発表手段に、どこか胡散臭さを感じていた私は、こうしたインターネットを通しての作品発表を肯定的にとらえ、それをどうにかして未来に繋げていけないかとけっこう真面目に考えています。インターネットに関しては、過剰な期待も反発も感じてはいませんが、「プリント」という写真の物的要素から解放されるだけでも、一利あるような気がしています。モニターの透過光を通してみる写真が嫌いではありません。デジタルカメラの安直さも好きです。もともと、エレクトロニクスの世界が好きで、少年時代は鉱石ラジオから始まってトランジスタラジオや増幅器作り、そしてアマチュア無線とエレクトロニクスの定番コースを歩いてきた私にとって、コンピューターという世界にはさほど抵抗も感じず、ごく自然に入り込めたという気がします。(そういえば、クリフォード・ストール著のインターネットはからっぽの洞窟の中にも、アマチュア無線の話がでてきます)と言うわけで、ここしばらくはインターネット上での発表を試みて行きたいと思っています。(ホームページという趣味的世界に浸りっぱなしにならぬよう注意しながらですが)ページ作りに関しては、まだまだ解らぬことばかり。当分は、試行錯誤が続きそうです。(6月9日)

このホームページを創設して、ちょうど1カ月が経過しました。その間いろんな方よりメールを頂戴いたしました。この場をかりてお礼申しあげます。

ホームページを作ろうと思い立って、 ページミルを買ってきたのはいいものの、付属の説明書を読んでも難解すぎて手に負えず結局参考書をあれこれと5冊も買うはめになりました。その中で比較的良かったのが、小沢真由美さんという方が書かれた中経出版の「マックでやさしくホームページづくり」という本。HTMLの基礎からFTPまで簡潔に解説されていて大いに役立ちました。FTPに関しては、更新の結果がなかなか反映されず、これはおかしいと川村大我さんにメールで問い合わせたところ、再読込ボタンを押すの忘れてませんかとの返事。そうなんです。忘れてました。まったくこれだから初心者はいやになります。そんなこんなでこの1カ月、だいぶ勉強になりました。

インターネットでの作品発表は、オリジナルプリントのクオリティーに較べたらその足下にも及ばないと、敬遠する人も多いようですが私は決してそうは思いません。印画紙であろうが、新聞紙の印刷であろうが、モニターの画面であろうが、写真は写真です。たとえ新聞紙上のざらついた不鮮明な写真でも、心に響く写真はちゃんとその存在を見る人にアピールするものです。写真で一番大事なことは、プリントの善し悪しといった手作業にまつわる技術的なことではなく、要は内容であり、何をどう表現したかという写真家の姿勢(思想)そのものが問われるべきなのだと思います。「アンセルアダムスなんてくだらない」そう言ってしまえる自分でありたいと思います。長年、カラーポジフィルムを使って作品作りをしてきたのも、オートマチックに表出してくる写真の特質を活かしたかったからに他なりません。「シャッターを押せばそれで全てが終わる」それでいいのだと思います。女子高生が使い捨てカメラをデジタルカメラに持ちかえる日が、すぐそこまで来ています。写真という概念が、少しずつ揺らぎ始めているようです。この先、銀塩のオリジナルプリントは、今まで以上にその骨董的価値を増すかもしれません。しかしながら、私たち写真家は、骨董屋の店先に並ぶほど古ぼけた存在ではないはずです。変り続ける社会と変り続ける自分との狭間で「写真」を考えること・・・そんな毎日でありたいと思います。

暇な時間を他のホームページ探訪に使うことが多くなりました。個人ホームページには、その人の全体像が無意識に反映されているようなところがありそこが面白いといえば面白いところかも知れません。私のお気に入りは、詩人の鈴木志郎康さんと写真家の川村大我・法子さんのページです。両者とも、ページ構成がシンプルで新宿・歌舞伎町のネオンサインのような賑やかページとは、一線を画しています。よけいな仕掛けや装飾がないぶん、内容にダイレクトに入っていけます。どこか素朴さが残っているところも親しみやすさにつながります。あまりにプロフェッショナルに洗練されすぎたものよりは、こうしたプリミティブなものにおもわず見入ってしまいます。写真のページは、相変わらずネイチャー関係のものが多いようです。シリアスな写真のページがまだまだ少ないのが、ほんとに寂しい。特にネイチャーものが嫌いなわけではありませんが、 (宮崎 学さんの写真なんかは本当にすごい) ただ奇麗なだけの花や海川の写真を見せられてもあまり感動しないのです。今、私は古い一冊の本を読み返しています。その中にこんな一節があります。「ディスカバー・ジャパンはわれわれに仮想の自然、仮想の自由、仮想の故郷を売りつけることによって、自然を回復し、自由を奪回すべき歴史的な力をものの見事にカッコでくくられた自由、カッコにくくられた自然へと回収し早めに窒息させてしまう。そしてそこにあたかも自由と自然を一瞬の間でもかちえたかのような幻想とその記憶だけを与えてくれるのだ」 (中平卓馬著・なぜ植物図鑑か 1973年発行より) ディスカバー・ジャパンを写真家という言葉に置き換えてみると、そこに今日のイメージ社会のありようが見えてくるような気がします。(6月22日)

郊外 (Suburb) は、どこもかしこもみな同じような顔 (風景) をしている。のっぺりとした空間がどこまでも続き、規格化された家々が整然と立ち並ぶ様は東京の多摩地区だろうが神戸の須磨区だろうが変りはない。山や野原を削り、風土や歴史をきっぱりと消去したあとに完成するアイデンティティー消失の地点。そこに住む私たちもまた、自身のアイデンティティーをすでに消失してしまっている。そのことは、私たちにある種の解放感をもたらしてくれるが、反面「空っぽの世界」に拮抗するだけの強くて柔軟な精神力を持つことを必要とされる。でなければすぐさま荒涼とした欲望の海に飲み込まれてしまうことになる。昨日逮捕された少年もまたその犠牲者なのだろうか。それにしても、やり切れない。少年の心の奥底の闇を、我が心の闇として自覚せよ・・・。(6月29日)

写真学校の生徒たちが開いた写真展会場には、なつかしいサンタナの曲が流れていた。25〜6も違う若い女の子から「サンタナっていいよネ」なんて言われてオジサンは涙が出るほど嬉しかった。今どきの若い娘がサンタナを知ってるだなんて・・・。半信半疑で時代は巡る。(7月14日)

作家がいて、ギャラリーがあって、キューレターがいて、評論家がいて、作品を買い求めるお客がいて・・・といった近代芸術が作り上げてきたシステムを時には疑ってみることも必要なのではないかと思っています。システムの要求に応えるために、まるで工業製品を作るように、同じような作品を繰り返し作り続けることが良いことだとは決して思えないのです。制度化された「芸術」というカテゴリーの中に写真が組み込まれることで、写真が確実にその力を失って行くことはめにみえています。おそらく、その先に待っているのは美術館という名の巨大な墓場でしょう。システムが求める上等な完成品を作ることが作家の使命ではありません。完成ではなく未完に憧れ続けること・・・そんな見果てぬ夢の集積が私の考える「写真」なのだと思います。(7月28日)

今朝の読売新聞、メディア時評欄で養老孟司氏が【・・・新聞は一種の記録だから、そこには「起こらなかったこと」は載らない。「起こったこと」ばかり見ていると、「起こらなかったこと」をわすれる。・・・】と論じていました。なるほどと思いました。写真についても同じようなことが言えると思います。写真は「起こったこと」を記録することに長けているメディアです。(デジタル写真の登場でこの認識はくつがえされつつありますが) だから、カメラマンは「起こったこと」を求めてやっきになって駆けずりまわります。しかしながら、日常は新聞記事になるような突出したことの連続ではありません。むしろ退屈で平凡でフラットな「起こらなかったこと」の連続です。「起こったこと」ばかりに気をとられていると、養老氏がいうように「起こらなかったこと」を忘れてしまうことになります。

たとえば、アラーキーの写真には、ちょくちょく女性の性器露出写真や縛りの写真が登場します。これは「起こったこと」として虚構の場を自らの中に早急に取り込もうする写真家の表現意識のあらわれとみることができます。そこには「起こらなかったこと」に対する写真家のコンプレックスが内包されているような気がします。また、最近の若い女の子たちが撮る写真には、しばしばイリュージョン過多ともいえる現象がみられます。ブロボーグ時代の写真家たちに感応してのことなのでしょうが、これもまた「起こらなかったこと」に対する苛立ちがブレ、アウトフォーカス、画面を飾る色どりといったものに現れているように思います。私はこのような写真を否定はしませんが、ブレ、アウトフォーカス、縛りといった一見、非日常的な画像から逆に「なにも起こらなかった写真家自身の退屈さとそこからの逃避」が見えてきてしまって、あまり好きにはなれません。いかにも日常は、退屈で平凡でフラットです。しかしだからこそ、徹底的に見すえる意味があるのだと思います。「起こらなかったこと」を「起こらなかったこと」としてそのままの形で認識し、まっすぐに受け入れること・・・。私は、そこから始めたいと思います。「写真は、起こらなかったことの集積である・・・のりお」(8月3日)

昨日までの暑さが嘘のように涼しい。身体の奥底にしまってある秋へのセンサーが微かに動きだす。埃をかぶっていたマウンテンバイクをひさしぶりにきれいに磨く。棚の奥のライカをひっぱりだして、そのひんやりとした金属の感触を楽しむ。アマチュア無線機器のダイアルノブにそっと触れる。過ぎ行く夏と待ち侘びる秋への思いが交差する一日。(8月15日)

ボイジャーが未知の知性体へのメッセージを積んで今も宇宙のどこかを旅しているように、このホームページもまたインターネットという広大な宇宙を飛行中です。今日で、ちょうど3カ月。どこで、どんな人に出会っているのか定かではありませんが、どうにか無事に飛行を続けています。長丁場の旅、行き着く先は不明ですが、これからもどうぞよろしくお願いします。(8月22日)

このところ普通のカメラをほとんど使っていません。どこに行くにも安物のデジタルカメラをぶら下げてます。35万画素だからそれなりにしか写りませんが、モニターで見るぶんにはこれで充分です。プリントアウトするつもりもないし、ホームページ用と割り切って使っているので、身軽でとても楽しく撮影できます。欲しいと思っていたフィルムスキャナーも、まだ買ってません。ホームページには、やはりデジタルカメラを使うのが一番ふさわしいと思うからです。デジタルカメラで撮影していると、なぜかフジペットを使っていた少年の頃を思い出します。ファインダーを覗くときのちょっぴり心もとない気持ち、不確かに現れる世界像の不思議さ・・・。あの少年の日に帰りたいとは思いませんが、デジタルという最新式の機械が期せずして遠い昔を思い起こさせてくれるというパラドクスに、私は感激してしまうのです。(8月29日)

先日、市川美幸さんの個展を見にツァイト・フォトサロンに出かけてきました。帰りがけに今 道子さんや雑賀雄二さん、三好耕三さんらと食事をしたのですが、そのときの話題はもっぱらコンピュタのこと。職業柄ヒマな時間の多いわれわれにはピッタシの玩具ということで、今後どんどん使うひとが増えてゆくことでしょう。あの今 道子さんがパソコンに向かってキーボードを操作している姿を想像すると思わず「かっこいい !」と歓声があがりそうですが、ご本人はあまり関心がないようでちょっと残念。早くみんなで遊びましょう。(9月11日)

昨日、写真店の委託販売コーナーに預けておいたプラウベル69プロシフトが売れたと連絡が入りました。もう2カ月近くになるので半分忘れかけていたのですが、これでどうやらやっと新しいデジカメとフィルムスキャナーが買えそうです。プラウベル69プロシフトは、シュナイダーの47ミリ超広角レンズ付きのアオリが使えるカメラです。レンズの発色性がとても良く、気に入っていたのですが、画角が広すぎて最近はめったに使わなくなったので思い切って手放すことにしました。若い頃は頻繁に広角レンズを使った時期もありましたが、歳をとるにしたがって標準レンズの画角がいちばん体質に合うようになってきました。生理的変化は、レンズの好みも変えるようです。(9月22日)

新しいデジカメを買ったのでそのテストを兼ねて、御岳山に登りました。このところ風邪気味であまり体調が良くなかったのですが、81万画素の威力をためそうと少し無理をしました。歩いているうちに熱が出てきて息もハアー、ハアー。早々に引き揚げて、布団にもぐりこみました。 これまでのカメラは遠景の描写に不満があったのですが、この81万画素のモデルはさすがに良く写ります。これでデジタルを使った風景撮影が楽しくなりそうです。

詩人の鈴木志郎康さんが「ホームページでの発表は孤独な作業だ」と書かれていましたが、私も同感。モニターの向こう側にいる人の顔が見えないから、今ひとつ手ごたえのようなものが感じられません。茫漠とした砂漠に向かって大声をはりあげているような孤独感があります。雑誌などへの発表と違い原稿料のようなものがいっさい入ってこないというのも、寂しさの一因かもしれません。この国で、表現としての写真を続けて行くのは「生活」ということを考えると至難の業です。個展をひらいたり、カメラを買ったりする度に、こんな生活をいつまで続けられるやらと心配になります。風邪のせいか、どうも愚痴っぽくなってしまいました。希望はいつも明日にある・・・か。(10月2日)

今にも消え入りそうにコオロギが鳴いている。その声は、巡る時間の貴重さを私に教えてくれる。今、この一瞬にも地球は自転し、太陽の周りを公転し、その太陽もまた銀河の中心に沿って回転を繰り返し、さらに銀河もまた広大な宇宙を移動し続けていることの不思議さを、一匹の小さな小さな生き物によって教えられることの幸せ。静かに時を視る。(10月8日)

写真学校からの帰り道、調布から八王子インターまでの高速道を、前を走るトラックのテールランプを見ながら、私は途方に暮れる。どこまで行けばよいのか、どこへ帰ればよいのか、一瞬わからなくなる。闇の重さを量ってみる。(10月9日)

拡大を繰り返してゆくと、そこにピクセルが現れる。宇宙空間のように何もない場所。広大な虚無が詰まった四角い部屋。デジタルで写真をするということは、このピクセル・ルームに潜む虚無と向かい合うことだ。今までとは何かが決定的に違ってしまったということ、そのことを感じながら、それでもなお、この現実に向かい続けること・・・。更新を重ねながら、知らぬ間にこのホームページが戦場と化していることに私は気づき始めている。(10月16日)

昨日、写真学校の私のゼミに雑賀雄二さんが来てくれた。雑賀さんは、軍艦島で写真を撮り続けていることで有名な写真家だ。軍艦島という廃虚を撮りながら、彼の意識は廃虚そのものには決して向かわない。捨てられた空き瓶や扇風機の向こう側にある不可視の領域に、そのやさしい眼差しはまっすぐに向けられている。軍艦島「を」撮るのではなく、軍艦島「で」写真を撮る。この「を」と「で」の違いは大きい。ひとつの場所にこだわり、なおかつ、いつも初めてのことのように写真を撮り続けるのは大変難しい。しかし、その難しさを承知の上であえて同じ場所に彼は向かおうとする。この秋もまた、島に渡るという。たぶん彼は今、仕事にとりかかる前の言い様のない不安と戦っているはずだ。 (私も写真家だからその不安な気持ちが良くわかる) 誰に頼まれるわけでもなく、一銭の金になるわけでもなく、けれども何か駆り立てられるものがあって、写真家はいつもの場所に立つ。そして、最初の光 (FIRST LIGHT) を待つ。それはどんな言葉も追いつけない、写真家だけに与えられる至福の時だ。時間と空間がゆっくりと反転する。(10月18日)

知らぬ間に虫の声も聞こえなくなった。もう11月だ。光の美しい季節に、心そわそわ落ち着かない。(11月2日)

私たち写真家は、透明な青空のように深い「言葉」を待っている。けれどもそれは、なかなかやって来ない。Transparent Blue Sky !  黄昏どきの写真は、深い言葉を待ちわびる。(11月13日)

モニターに映しだされる写真たちは蜃気楼のように不確かで、はかない。この時代、誰もがこのはかなさの中を生きている。奥行きを失った薄い被膜の上を木枯らしがふき始めた。(11月20日)

早いもので、このホームページを創設して今日でちょうど半年になる。その間、私はけっこう本気だった。そして、これからも本気だ。でなければ、わざわざ見に来てくれる人に申し訳ない。そしてなによりも、自分自身に納得がいかない。そろそろ、あちこちにホコリやゴミがたまってきたので心機一転、トップページ、その他をリニューアル。これから年末にかけてもう少しシェープアップするつもりです。これからも、どうぞよろしく。(11月22日)

最近の写真学生、自分の作品を前に「言い分け」する者が多い。「どうして写真とらないの?」・・・「バイトが忙しくって」「天気が悪くって」・・・そんなの理由になるわけないのに、たらたらと下手な言い分けを聞かされるのは辛い。撮り続けることだけが前に進むための原動力になるのに、ほとんどの人はそれをしない。写真に自分自身を預けようとしない。たぶん怖いのだろう。避難場所をどこかに残したまま、決断を保留にしている。私はそんな学生を放っておく。写真学校は義務教育の場ではないのだ。自身と格闘し、自身の手で選び取った者だけが残ってゆく。あと数カ月で卒業式。(12月1日)

アート、芸術といった制度の中で自分の表現を展開することに少々飽きてきた。というより、そうした制度の中で表現を続けることの限界が見えてきたのかも知れない。心ある作家ならそのことをうすうす感じているはずだ。表現は日々移り変わるのに、その外側を囲む制度なるものは何も変わらない。その変わらぬ制度の中で写真もまたアートや芸術の一員であることを外側からむりやり強要された時代が、80年、90年代であったのかも知れない。少なくとも私には、アメリカやヨーロッパのギャラリーを中心としたアートシーンが決して光り輝いては見えない。日本も然り。出口はどこにあるのか。芸術の冬。(12月10日)

私は長いこと郊外の街に住んできた。秋田の田舎から移り住んで30年あまり、流れ着いた先が郊外の街だった。野山を切り開き、アイデンティティーを消失した「空っぽの土地」は、故郷を捨てた地方出身者にはお似合いの場所だ。私はそこで「故郷」という重圧から解放され、どこにも所属しない空っぽの自分を確認する。その土地に格別の愛着があるわけではない。何年住んでも愛着が増すわけでもない。でも、それでいい。下町的なれあいは嫌いだ。故郷を喪失した者にとっては、ただ茫漠とした風景がなぐさめになる。私はそうした日常を生きてきた。コンビニやカラオケボックス、大型電機店、ジャリ山、造成地、モーテル、高圧電線、小さなマイホーム、散乱するゴミ・・・、そして私。還るべき場所を失い浮遊するものたち。この場所では、全てのものが等価だ。青いビニールシートが私になる。(12月13日)

1997年をふり返って (1)
「写真は面白いのだろうか。口にすべきではないこの言葉を、繰り返し反芻する日々が続いている」このほど Web 上で創刊した Magus Cyber-Photo Gallery に寄せた谷口 雅氏の言葉だ。「確かに面白いとは言えない状況が続いてますよね」私は、こう返すしかない。写真雑誌を見ても目につくのはアマチュア向けのハウ・ツーものかカメラ機材の記事ばかり。評論はといえば表層的な感想文ばかりで私たち写真家が奮い立つような刃先の鋭い言葉にはなかなか出会えない。そんな中で若い写真家予備軍を対象にしたコンテストばかりが隆盛を極めている今日の状況には、「なんか違うんじゃないの・・・」といった感じがする。コマーシャリズムが用意した器に評価を委ねることには、もっとみんな用心深くなった方がいい。システムそのものを疑うことが、創造の第一歩だと思うのだが・・・。「写真は面白いのだろうか」年の瀬に、私もこの言葉を反芻する。もっともっと深い言葉が欲しい。(12月19日)

1997年をふり返って (2)
だいぶ以前のことになるが、1992年オランダのロッテルダムで開催された Wasteland / Landscape from now on と題された国際写真展は、今振り返ってもとても刺激的な展覧会だった。地球上のありとあらゆる場所が均質化され、確からしさを失い、終わりに近づいてゆく・・・そうした事への写真家の感受性のありかたが総括された記念すべき場であった。金村 修と共に参加した私は、そこで「風景の終焉」をはっきりと感じていた。のちに、加藤典洋氏がアサヒカメラに「終わり」以降の風景と題してこのことにふれている。「・・・1992年になると、中立化しようにも、中立化すべき現実がそこにもうない、そういう新しい事態が現れる。現実が現実らしさを失い、現実と風景にこれまであった対応関係が消滅すると、いわば風景はここで一度"風景の終わり"を経験するのである。ここで1992年ということで、わたしはこの年の"風景の終わり"ということをテーマに開かれたといえるオランダ・ロッテルダムのフォトグラフ・ビエンナーレのことを頭においている・・・1994/アサヒカメラ特集・新日本風景論より抜粋」 そう、5年も前に確かに風景は終わったのだ。ニュートラルに世界を観るということへの決別。何かが終わり何かが始まる、そんな新しい始まりとしての風景が予感とともに立現れることへの期待。そうあってほしい。今、われわれの写真はどこまで来たのだろうか。もうすぐ新しい年が始まる。(12月20日)

1997年をふり返って (3)
「女の子写真」という呼び方、あるいはジャンル分けは、どれだけ有効性を持つのだろうか。年月はあっという間に過ぎ去る。キャピキャピの女の子たちもあと数年もすれば、ただの女やオバサンになる。輝かしい青春の刹那を生きている彼女たちが大人の女になったとき、その手にまだカメラはあるだろうか。短い青春のワンシーンを飾るネオンサインのような写真たち・・・それらはどれも、初々しく輝きに満ちている。そうした写真を「女の子写真」とくくってしまうのは、ある意味では彼女たちにとって酷なことだろう。本当のところは、女の子でも男の子でもないところで評価してあげなければいけないのに、あくまでも女の子として見られてしまう、いやそう見てしまうわれわれ大人たちのあざとさ。女子高生たちの写真ブームは、ルーズソックスやポケモンと同じく、それ自体では何の意味もないものだ。それらは、彼女たちの中だけで意味を持ち彼女たちの中だけで完結する。そこにわれわれが入り込める余地はない。でも、それでいいのだと思う。それが、青春の特権だから。必要なのは、われわれ大人が知ったかぶりして近づかないことだ。そっとしておいてやればいいのだと思う。アルバムは彼女ら自身で開け、彼女ら自身で閉じるだろう。目の前にアーティストという名のニンジンをぶらさげ、いたずらに先導するのはよしたほうがいい。コマーシャリズムが創りだすアーティストと言う名の幻影がおろかにも再生産されるだけだ。自らの手でアルバムを閉じることで彼女たちの青春が終わる。そしていつの日か、その中の何人かが新たなアルバムを編むだろう。時が経ちオバサンになった彼女たちが出会う、苦難に満ちた世界と私の輝かしい写真。私はそれを待っている。(12月23日)

1997年をふり返って (4)
ロンドンのMichael Mackから掲載依頼の手紙がきたのは、確か去年のことだった。彼の要請にもとづいて私は何枚かのデュープネガを彼の元に送った。忘れたころに突然「写真集が出来たから送るよ」と連絡が入った。私の元に届いた写真集には、 Surface/Contemporary Photographic Practice と題されていた。 Booth-Clibborn Editions から出版された200ページ以上もある分厚い図鑑のような写真集だ。 BecherやThomas Ruff、Lewis Baltz、アラーキー、松江泰治といったコンテンポラリーな写真家の作品が Michael Mackに よって慎重にセレクトされ、アトランダムに配置されている。その構成の仕方は、1992年にオランダで開催された Wasteland/Landscape from now on によく似ている。ここでもあの時と同じように、何かが終わろうとしている事への写真家の感受性のありかたが総括されている。写真集をめくってゆくと、ひとつの奇妙な感覚に捕らわれる。ここに編まれた全ての写真が、デジタル化される直前のイメージとでも言おうか、今まさにピクセルに変換されようとしているそんな淡いの中を生きている写真として私の前に立現れてくるのだ。世界が写真のリアルに変換され、写真のリアルもまたデジタルという交換可能な不定形の世界へと変換されてゆく。そうした時代の到来を告げる最後の写真たち。 Michael Mack によってバラバラに寸断された写真たちは、ここで新たな意味を浮上させる。私 (写真) は、誰 ? ここ (リアル) は、何処 ? (12月24日)

1997年をふり返って (5)
今、新潟市美術館で開催されている「LAND OF PARADOX」展はアメリカ在住のキューレター、福のり子によって企画され1996年1月、ボストンのフォトグラフィック・リサーチセンターをかわきりに全米各地の美術館を巡回後、日本に戻って来たものだ。雑賀雄二、畠山直哉、山根敏郎そして私の4人によって構成されている。4人とも現代日本の風景をモチーフとしているが、そのアプローチの仕方は微妙に異なっている。単純に撮影場所の違いで分類すれば、雑賀氏は軍艦島、畠山氏は石灰岩の採石場、山根氏は東京湾、私は東京郊外のニュータウンということになる。ここでいう撮影場所とは、鑑賞者にとっては作品を読み解く大きな手掛かりになるかもしれないが、作者の側にとってはそう大した意味のないものだとも言える。雑賀氏は、たまたま軍艦島と出会い、その軍艦島というモチーフを通して軍艦島の向こう側にある何か得体のしれない普遍的なものを追い求めているのであり、決して軍艦島そのものをルポルタージュしているのではない。私を含めた他の3人も同様である。ここのところをとり違えると、この展覧会パンフのキャッチコピーにもみられるように「急速に変貌し続ける現代日本の姿」とか「文明のためいきが聞こえてくる」といった極めて通俗的な言葉によって、作品がある狭い領域に押し込められてしまうことになる。今回の4人の展示は、ここ10年間ほどのアンソロジー的な作品で構成されている。したがって、各作家の作品が現在どのように変貌を遂げているかは、今回の展示からは見えてこない。公的な場で展示するときにいつも気になるのは、こうした過去の作品と今現在、実践していることとの間に横たわる時間的なズレだ。特に美術館と呼ばれる公的な器の中では、その多くが過去ヘとベクトルが向けられがちだ。今まだこうして生きているにも関らず、不在の人として語られてしまうパラドックスの中をわれわれは生きている。(12月28日)

 

1997年5月22日ホームページ開設当初から12月28日までの文をそのまま掲載しています。

close