写真家 小林のりお インタビュー記事

表現行為の媒体として写真を撮る若者が増えている。私もその中の一人だが、作品は日々安易に生まれるが撮るべきテーマは失われている。 現在、写真は変わり目の時期に来ていると言われている。巷に溢れ、行き場を失った写真たちを見ると、そのような言葉に私は同調する。そのような時代の中で先駆者的にデジタル写真を表現の軸においた人がいる。

小林さんの発信するサイトArtBow(http://www.artbow.com)では、日々更新されるデジタルの世界が堪能できる。もちろん小林さんはアナログの世界でも素晴らしい経歴の持ち主だ。生い立ちを始め、アナログ世界を経験した上でデジタルという世界に飛び込んだお話などを聞けたら、私の中で漠然としている写真というものが新しい角度で見直せるのではないか。そのような思いを胸にインタビューをさせて頂いた。(聞き手、三宅章代)

──はじめに写真に興味を持ったきっかけを教えてください。

昔、親父はどこ旅行するにも必ずカメラ持参でね、家族のことバチバチ撮ってね、帰ってくるとスライド上映会のような感じで家族に見せるわけ。だから自然と小さい頃からカメラに憧れて。はじめて撮ったのは小学校3年ぐらいかな。

──小学生の時に撮った処女作品がサイトに載っていますよね。

あの写真、今までの中でやっぱり一番好きなのよね。あれは僕の傑作だと思うよ。あれを未だに越せない。あの頃が一番いいよね。子供だから何も考えてないでしょ。表現するとかしないとか。目の前に被写体があって、カメラ持ってて、ただ嬉しくてパッと撮るそれだけでしょ。それだからいいんだよね。

──意図せずに撮った写真が良いということですか?

結局そうだと思うよ。表現じゃなくて世界と戯れるみたいな。

──経歴を拝見させて頂くと、歯科大を中退されて写真の学校に編入されていますが、初めから歯科大に興味がなかったということはありますか?

親父とおふくろが歯医者で、僕は長男だったし、継いで欲しいみたいな親の意思があったからね。本当は日大か何処かの写真科に行きたかったんだけど、まあ、歯科大に行っても写真はできるかなと思って入ったんだよね。4年までいたんだけど、あんまり学校に行ってなかったね。

──では、中退を決意された時は御両親の猛反対に合われたんですね。

そう周りみんな。親戚じゅうから。

──どう説得されたんですか?

あきらめたんじゃないかな。僕も決心するまでちょっと時間がかかったんだけど。やっぱり恐いじゃない。歯科大に入っていればある程度将来食いっぱぐれがないし、未来が約束されているでしょ。そういう世界から全く何もない世界にドロップアウトするわけだから。歯科大辞めた時点で、僕には何もなくなったわけ。もうあとには引けないから、当時が一番精神的にしんどい時期だったよね。恐いのよね毎日が。写真撮ってないと本当に恐くて恐くてね。晴れた日には大型カメラ持って、原付に乗って毎日のように写真撮ってた。それを5・6年続けて、何千枚って撮ってまとめたのが『LANDSCAPES』。

──一冊の写真集を作るために何千枚の中から何十枚かを選ぶ作業は小林さんにとって楽しいですか?辛いですか?

辛いけど……。あっ。楽しいけど辛い。難しい作業だよね。

──客観的に良いと思われる写真を選ぶのですか?小林さんが良いと思う写真を選ぶのですか?

やっぱり客観的かな。他人の目で見る。難しいんだけどね。それがないとやっぱり自己満足になっちゃうと思うんだよね。どっかに他人の目をおいてね。その他人の目っていうのが何かというと、現代写真の世界ってことかな。そこに一石を投じるわけだから。そういう意識を持ってるよ。どっかに現代写真っていう流れの中で行為をしているっていう意識がないと、単なる趣味とか自己満足で終わっちゃう。そこが作家とアマチュアの違いだよね。僕は常に現代写真っていう枠の中でやってるっていう意識は強く持ってるからね。

──ということは時代によって選ぶ写真が違うということですか?

それは当然違ってくると思うよね。この時はこれを選んだけど、また歳をとってから選ぶと当然違うと思うよね。それが写真の面白さだよね。時代が違うと見方も違うっていうのがね。

──時代っていうのはどうやって作られていくと思われますか?

それはやっぱり作家が作っていくんだと思うよ。僕はそれを作りながらも壊していきたいとこあるよね。アートのシステムっていうのが今たぶん崩れかけている時代だと思うのね。もうちょっと崩れても良いと思うけどね。作家がそれを壊して作っていかなくちゃいけない。

──現在、テーマを決めることが難しい時代だと私は思っているのですが、小林さんは今までの写真集のテーマはどうやって決められたのですか?

そうだね、難しいね。僕の場合、最初から頭でテーマを考えて撮るってことはないよ。たまった写真の中からテーマは自然に出てくるもんなんだよね。頭で考えてもきつくなるし出てこないよね。

──(写真集『LANDSCAPES』を見ながら)日本の歴史を見ているみたいですね。

そうかもね。80年代初頭の写真だからね。宮崎駿さんの『平成狸合戦ぽんぽこ』って映画あるでしょ、あの中の絵はこの写真集からトレースして使ったのもあるよ。全く同じ絵もあるのよ。もちろんお金もらったけどね(笑)。

──写真集『LANDSCAPES』後の写真集『FIRST LIGHT』で木村伊兵衛賞を受賞されていますが、同時受賞だった、大西みつぐさんのことは当時気になる存在でしたか?

昔はけっこうね。でも、今は撮ってる分野が違うから、ライバル意識はないよね。ホンマタカシさんが僕のことライバルって言ってるってね、どこかで聞いたことあるけど、僕は彼のこと全く気にならないな(笑)世代も違うしね。歳とるとね、あまり周りが気にならなくなるのね。いい意味でのマイペース。

──大西みつぐさんが写真専門学校のパンフレットで写真家になるんだったら、貧乏を覚悟しなさいというようなコメントを書いてらっしゃいましたが、写真家というものはそういうものですか?

コマーシャルやってる人たちは、ベンツ乗ったりして結構お金持ち多いよね。僕ら作家はぜんぜんお金にならないからね。海外と違って公的な援助もなにもないでしょ。そういう中で作品作っていかなきゃいけないから、出ていくお金の方が多いよね。土門拳賞もらった、金村修君なんて未だに新聞配達やってるでしょ。やっぱり日本ってそういうものなんだよね。文化的な理解が何もないからね。やっぱり何かを捨てないと絶対に作家にはなれないと思うのよね。良い会社に入ってまっとうな人生を歩みたいっていう価値観のもとでは絶対写真家にはなれない。ある意味で世捨て人にならないと。もうどうなってもいいやーぐらいのね。でも写真が好きだから、もうそれしかないんだーみたいなことでやらないとね。

──今回木村伊兵衛賞を受賞した、蜷川実花さん、HIROMIXさん、長島有里枝さんの中で注目している方はいらっしゃいますか?

いない(笑)。3人の受賞は意外だったけどね。でも3人の写真あんまり詳しくしらないからな。活性化という意味ではすごく良いと思うけどね。ただ、これからはあれ以降の世代の人に期待したいよね。彼女たちはまだアナログ世代だよね。そうじゃなくて、全く新しい所から新しい表現の写真家が出てくる必要があると思うのよね。それがたぶんデジタルの辺りをからめてね。ただ、若い人たちはまだそこまでなかなか踏み込んで来ないよね。

──今の若い人とは対照的に小林さんの現在の活動はデジタルカメラ(以下デジカメ)を使用したもののようですが、アナログでやれることはもうやってしまったという感じですか?

そうだね。もう終わったって感じだね。終わったよなー。でも、ほとんどの写真家は終わったってことを認めたくないんだと思うよ。デジタルに反感持ってる人けっこういるしね。僕はこだわりはないけどね。デジカメの方が楽しいし面白い。僕はアナログを子供の頃から何十年もやってきたから。やれば人より上手く出来る自信はあるんだけれど、それを延々とやっていてもしょうがない。同じことのくり返しになっちゃう。暗室も家にまだあるけど、もう全然使ってない。昔の作品を必要に応じて焼くってことはあるかもしれないけど、新たな作品として撮るってことはないと思うな。

──デジカメの何が魅力だと思われますか?

簡単お手軽っていうところじゃないかな。簡単お手軽だからダメだっていう人の方が多いんだけど、僕は簡単だからこそ素晴らしいと思っているのよ。だって次から次へとコンセプトなりを、進めていけるわけだから。以前、モノクロ写真を止めてカラーにしたのも、暗室の手作業を省くみたいなところがあったのよ。そういう意味でデジカメは究極的にお手軽だよね。あえてそこで僕は勝負したい。

──1997年に御自身のサイトを持たれるわけですが、当初の反響はいかがでしたか?

最近はアクセス結構あるんだけど、最初の頃は一部の人しか見てもらえなくてね。問題視されなかったりとかね。Webでなにやってるのみたいな。未だにそうだけどね。でも、僕はWeb上で写真を見るのとか、発表するのってやっぱり面白い。他の人の写真もWeb上でしか見なくなっちゃったよね。

──モニターで写真を見るということに抵抗はないですか?

僕は全然ない。モニターで見る写真って透明感あってすごく綺麗だし、僕は好きだけどね。最初の頃は心もとなかったんだけど、だんだん慣れてくるとモニターで見ても良い写真って分かるよね。実際ギャラリーでプリントしたものを見ても印象が変わらないんだよね。やっぱりモニターで見て良い写真はプリントで見ても良いんだなーって。写真をモニターで判断する時代に次第になると思うよ。この前ロシアで個展をやらないかって、ギャラリーのオーナーからメールが来てね。それで、作品を40点ぐらい送ってロシアで個展やったんだけど、そこのオーナーは僕のプリントした写真を見たわけじゃなくて、僕のWeb上の写真を見て判断したわけよね。それって面白い現象だよね。たぶんこれからそういう現象がどんどん増えてくると思うよね。作家とギャラリーが直接つながっちゃう産地直送みたいな感じ。キューレーターなんかもいらなくなっちゃうよね。そういう意味で美術館のしくみも変わってくるんじゃないのかな。美術館っていう形態がもう時代に合わないんだと思うよね。保存・収集の館みたいなね。もっと実際に動いてないと面白くないじゃん。作家は、今こうして生きてるわけだから。そういう意味で、日々動いているWebってやっぱり面白いよね。

──そのロシアの個展ではデジタルキッチン(註1)の写真を送られたとサイトに記述されていましたが、キッチンという場所を撮られている理由みたいなものがありますか?

あんまりないけどね。デジカメって身体感覚で使えるカメラでしょ。それで、自然といつも座るキッチン、あと女房とかね、身近なものが目に入ってきたのね。

──一般的にキッチンは生活感がにじみでるところだと思いますが、奥さんから反感をかいませんか?

たまに言われるけどね。でもあんまり気にしたら発表できないから。あきらめているんですねきっと(笑)。 一人でこそっと選んじゃう(笑)。僕もあんまりひどい所は出さないようにしてるから。気を使ってね。もっとすごいとこあるんだけど(笑)。

──奥さんもデジカメを使われていますか?

女房もデジカメ撮るよ。買い物ついでにぶらさげて。フィルム代もいらないしさ、主婦にはデジカメあってるんじゃないの。便利で良いカメラだって実際言ってるよ。

──デジタルキッチンなどの作品をWeb上で発表されていますが、Web上では無数の情報が流されていて、その中に埋もれて形にならない不安感というのはありますか?

それは絶対あるよね。うん、ある。だからそれを突き抜けるだけのパワーがこっちにないと。皆そのパワーを持てないのよね。適当なところで止めちゃってるから。でも、何人かの人は飛び出ていこうとしてるよね。それが、佐藤淳一さん(註1)だったり、高橋明洋さん(註2)だったり。

──小林さんのサイトの中のエッセイで「写真の夢」という言葉があったのですが、写真の夢っていうのは具体的にどういうことですか?

ピュアーな、なんていうかね。誰にも邪魔されないで一人で没頭できるというか。僕にとって写真を撮ることは、ご飯を食べることとかと一緒で特別な行為ではないんだよね。僕ね、ラルティーグ(註3)っていう写真家が一番好きなのよね。彼は8才の頃から亡くなる92才までアマチュアとして写真を続けた人なのよね。後に誰かが発掘して有名になった人なんだけど、彼はフランスの貴族生まれでね。自分の家族とか、友だちとか撮っていて。それと彼は、3回離婚していてその度に妻を撮っているんだよ。それがいいなぁーって思ってね。写真がいいんじゃなくて、そういう行為がね。自分の人生とカメラがあって、写真があって、愛する女がいて、一生撮るっていうことが。ある意味、楽天的な感じ、暗さとか表現する苦悩とか、そういうのないでしょ。そういうのが僕の理想なんだよ。ラルティーグ自身、自分はアーティストだとか芸術をやってるって意識はなかったんだと思んだよね。ただ世界があって写真があって。そういうのってすごくいいよね。

──それは小林さんの処女作品に通じる意識なんですね。

そうだと思うよ。

私の周りには、変わること、今までの概念を捨てるということに抵抗を感じる大人が一杯いる。小林さんは変化をすばやくキャッチし受け入れ、道を示す素敵な大人だなと思った。時代が認めた作家さんでありながら、写真を特別な表現行為ではないとさらっと気負いなく語る小林さんに深く感化された。インタビューを終えた時、私の中で漠然としていた写真というものが少し形を現しそうになった。それが、はっきりと形となって分かる日はくるのか。きっとそうなるには、考えるより、撮って撮って撮りまくるしかないと感じた。それも、今まで手に取ろうともしなかったデジカメという道具で。

 

註1:デジカメで撮影したキッチン風景。(数日に一度(4〜5枚)更新が行われる)
註2:jsato.org(http://www.jsato.org)
註3:Web写真活動宣言(http://www.interq.or.jp/yellow/takihi)
註4:ジャック=アンリ・ラルティーグ(Lartigue,Jacque-Henri)1894-1986
20年代は最初の妻ビビ、30年代はルネ、40年代以降はフローレットと人生を分かち合った女性たちの姿などを撮影した写真家。

 

2002年 季刊誌「PLUS vol.7」に掲載された文章です。聞き手、三宅章代

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