後ろの正面 小林のりお

街は雨。そんな日の奥多摩周遊道路はいつもたいてい深い霧に覆われていた。

写真集 FIRST LIGHT に収めた作品を撮っていた頃のこと。あの頃の僕は、朝早く家を出て奥多摩や秩父方面へ車を走らせ、あてどなく彷徨いながら陽の暮れるまで写真を撮ることが多かった。来る日も来る日も、そんなことの繰り返しだった。いくつものカーブ、繰り返すアップダウン、そんな時間の中で僕はポツンと独り、道に迷っていたのかもしれない。出かけたところで、それが収入に結びつくわけではなかった。そんなことは承知の上で、僕は僕に即した写真が撮りたかった。ただそれだけのこと。世間から遠く離れて、たった独りの無為な行い。そんなことの繰り返しを4年、5年と続けていた。

霧はいつも「此処ではない何処か」を暗示していた。センターラインを頼りにカーブからカーブへとハンドルをつないでゆく。遠くが見えないことで自分の居場所を失った僕は、ただただ泳ぐように走るしかなかった。行き交う車もなく、ひっそり閑とした平日の山道を、何日も何日も、何処までも何処までも走った。あの頃、車を走らすことと撮ることは同義だった。

山霧が身体に降りてきて、フワリとした時間の中を、ただ撮るという動機のためにだけ歩き続ける。何も撮るものがみつからない時でさえ、それも善しと歩き続ける。気まぐれの一枚が次の作品への動機となることもある。たとえ撮れなくても、また明日がある。霧が晴れれば風景は一転するだろう。霧の中で太陽を待ちわびる心。そのとき霧は撮ることへの触媒となる。

10センチ先の霧は霧ではなくただの水滴と化す。眼が霧を霧と認識するためには、距離が必要なのだ。この絶対的な距離の中に僕らは生きている。霧の中に佇むと、眼が無意識に距離を計測しだす。中空を彷徨う眼。決して触れることのできないイメージとしての霧。

山霧はしっとりと身体を包み込み、生活を忘れた僕はおもわず異界への扉を開けそうになる。包まれてはいるが触れることのできないもどかしさの中を僕らはずっと生きてきたのではなかったか。アイピースの視野に浮かぶオリオン大星雲やプレアデス星団をこの手で掴まえることは決してできない。それでも毎夜飽きることなく星たちを見続けた少年の日。「ただ見る」という無為の中で、眼が距離を計測し、過去や未来を探していた。

「都会のアリス」の迷える青年・フィリップは、ポラロイドカメラのシャッターを押す度に「これも違う、あれも違う」と、苛立ちの中に身を投じてゆく。僅か1-2分前の光景が、薄い紙とプラスチックで被われた小さな写真となって現れる。明るい日差しの中で、ゆらゆらと姿、形を現す魔法の紙片。物質の表面に薄く張りついている「此処ではない何処か」それは物質なのかイメージなのか、それとも・・・。

ポラロイド写真のわい曲し、色変換された像と目の前の世界とは明らかに違う。その距離を埋める、あるいは隔てるための白い余白。その余白に記されるであろう日付や地名によって、かろうじてそれは記録になるのだ。余白によって成立する記録。薄い紙片の上に定着された像は、地名を記された後も徐々に変化し続けるだろう。決して留まることのできぬ記録。

もしも、青年・フィリップが現代に生きていたなら、ポラロイドではなくデジタルカメラもしくは、カメラ付き携帯を使ったことだろう。摘むことも丸めることも切り刻むことも燃やすこともできぬまま、ただただ虚しく消去ボタンを押し続けるフィリップ。モノとしてのポラロイド写真には、まだ救いがあったということ。余白の手触り・・・。

確かにあの頃の写真には、余白という括弧が存在していた。大型カメラのピントグラスに逆さまに薄ぼんやりと映る像をルーペで覗き、アオリを調整し、ピントを確認し、露出を決め、フィルムフォルダーを挿入し、引き蓋を引き、レリーズを静かに持ち、風のおさまるのを待って静かにシャッターを押す。まるで儀式のような行為の果てに現れる一枚の写真。20キロ近くはある機材を背負い、汗水流して撮り歩く様はまるで修行僧のようだったに違いない。だからといって、それが辛かったわけではない。むしろ、創作の自由な喜びに時の経つのも忘れ、まるで竜宮城の浦島太郎のように「此処ではない何処か」を旅していたのかもしれない。

竜宮城から帰った浦島太郎は、どうしようもない寂しさにたえかねて玉手箱を開けた。家も家族も友も失って、耐え難い孤独の淵で最後の望みを玉手箱に託したのだ。霧に包まれ、忘却だけがやさしく彼に寄りそう。夢、幻のごとき人生かな。やがて、この僕もあなたも老人になる。浦島太郎の孤独がきっとやってくる。そのとき、僕そしてあなたは、この手の玉手箱を開けるだろうか。

と、ここまで書いて「実は、浦島太郎は竜宮城から8才年下の愛人を連れて帰ったのよ」と女房に告げられる。「それが私よ」と言いたいらしい。脱走した乙姫様。

車は奥多摩周遊道路を抜け、小河内ダム、小菅村、丹波山村を経て塩山へと走る。塩山へ向かう途中のおいらん淵の辺りから右に続く細い林道を進むと、一之瀬という名の小さな村へ行き着く。行き止まりの村。何度も、何度も通った秘密の場所。

秋も終わろうとする頃、村を見下ろす峠道に立つと「サラサラ、ハラハラ」と微かな音をたてて木の葉が舞い落ちてきて、それはもう次から次へと絶えることがなく、まるでこの世の果ての出来事のように秘めやかでヒッソリとした記憶を僕に残した。

村の真ん中を流れる小さな川に降り立つと、砂地が陽光を反射してキラキラと輝きだす。昔、近くに金山があったという名残だろう。小さな小さな砂金の一粒が、長い年月を経て太陽と戯れる瞬間、光が歴史を透過する。

村には人の気配がない。住んではいるのだが、ガランとした空っぽさが勝っているのだ。何かが終わってしまったような場所。街から遠く離れたその場所で、僕はただ、空や山、谷、川、木、草、石、路傍の廃棄物たちと遊び戯れていたのかもしれない。

僕ら写真家は、目の前の現実世界ではなく、あくまでも写真に変換された世界を夢想しながら生きている。現実を見ているようでいて、実は見ていない。現実世界に属しているようでいて、実は属していない。そんな困った人種なのだ。シャッターを押す一瞬、現実世界から弾かれ、疎外されて在る自分を意識する。都市に居ながら都市に弾かれ、村に居ながら村に弾かれるといった倒錯した日常を生きている。

村に立ち、村に弾かれ、目の前の事物を撮ってはいても心はそこにあらず、事物の背後にあるだろう「此処ではない何処か」を夢想する。村や都市やキッチンは二次的な背景でしかない。祭りの中に在りながら、祭りに参加せず、何処か違う所を見ている自分がいる。いつもそうだった。悲しいけれど、それが写真家というものの宿命なのだ。

車を走らす最中、浦島太郎的な深い孤独が、一瞬ではあるが去来することがある。それは一瞬であり、すぐに平常心にかき消されるのだけれど。そんな時、心は無意識に乙姫様を探している。そう・・・、乙姫様はいつも不意に遥か竜宮城からやって来る。男は誰もが、浦島太郎。

その昔、多数の遊女が命を落としたという「おいらん淵」をぬけ、車は曲がりくねった山道を峠へと向かう。大菩薩へと続く峠を過ぎ、ウンザリするような下りカーブの連続をやり過ごし、フッと息を抜くとそこはもう塩山だ。見知らぬ街、見知らぬ人。

塩山から中央高速道へ入り、ただ西へとひた走る。アップ、ダウン、アップ、ダウンの果ての八ケ岳。諏訪湖の先の大きなカーブを抜け、さらに走るとモーテルのネオンが眩しく輝く伊那の街へと至る。乙姫様と浦島太郎の密会場所。ロマンティック・フリーウェーイ。

フィリップがテレビのコマーシャルに八つ当たりをしたように、僕らも、ウンザリするほどコマーシャルな日々を生きている。無感覚に、やり過ごす術を身につけてしまった僕ら。スカイウェイ・モーテルの憂うつ。都市の外れはいつもガランと乾いていて、風さえ吹かない。

フロントに電話を入れると「シュー、コトッ」と音がしてカプセルに入った請求書が届く。お金をカプセルに入れ、ボタンを押すとまた「シュー」と音がして、ロケットのようにカプセルが飛んでゆく。子供じみた仕掛けに、人生の秘密を知ったような気分になる。「シュー、コトッ」再度カプセルが届く。中にはおつりの千円札。またのご来店を・・・。遠い夏の日の想い出。

「冬の浜辺は寂しくて、ひとり波だけが騒いでた・・・」日野てる子の古い歌のように、写真にとって今は思い出の季節なのかもしれない。大型カメラによる風景写真は、僕にとって、どう機能していたのだろうか。森山大道らの表現主義的なアレ・ブレ写真に対するアンチテーゼとして、あるいは、荒木的な「写真イコール人生・芸術」といった類いに対するアンチテーゼ。新宿の盛り場ではなく、郊外。四畳半一間のアパートではなく、ピカピカの一軒家。全共闘的連帯のアジテーションではなく、たった一人の孤絶・・・。

探査衛星バイキングの孤独を想いながら、送られてくる伝送写真にぼんやりと未来の写真を重ねていた。機械の眼ではあるけれど、その陰には僕ら人間の眼差しが宿っている。科学者がバイキングに全てを委ねたように、僕も大型カメラに全てを委ねてみたかった。・・・と書いてみても、もう20年も前の話だが。

大型カメラと聞いて尻込みする人もいるだろうが、操作に慣れてしまえば現在のデジカメより簡単で確実に写ってくれるカメラだ。ただ、ほんのちょっと体力と気力がいるだけのこと。機械の眼に身を委ねること・・・。地球上でじっとデータを持ち受ける科学者のように、ただじっとカメラの背後で待つこと・・・。

銀河系を飛び出して、ボイジャーは今、何処を彷徨っているのだろうか。広大な虚無の中を、僕ら人間の微かな希望を乗せて船は行く。言うまでもなく、探査衛星から送られてくる写真は、デジタルデータだ。そして今、この手にはデジタルカメラがある。20年前には考えもしなかった「デジタル」というもうひとつの「写真」。

赤い灯の下で、ユラユラと浮かび上がってくる像。モノクロ写真の生成現場としての暗室。確かに暗室は、僕の青春そのものだったのかもしれない。ファインプリントを作るための試行錯誤や努力はそれなりに楽しかったし、充実した創作の時間だったと言える。モノを作ることの安心に包まれたフンワリとした時間。長いプロセスの果てに得られる一枚の写真。文化祭に間に合わせようと徹夜で焼いたモノクロ写真。16才の遠い想い出。

青春は短い夏のように過ぎ去って永遠に戻ってはこない。モノクロ写真もまた、今となっては遠い。写真の青春もまた過ぎ去ってしまったのだ。永遠には続かない青春を引き戻すのは罪作りだ。終わったものは終わったと認めること。そこから次のプロセスが生まれる。僕らは決して引き返すことはできないのだから。だとしたら、進むしかない。

富士山麓、朝霧高原辺りの深い霧の中を車は走った。富士がそこに在るのに、そこに富士は見えない。霧が壁となり僕らを隔てる。霞んでは消えるジャパニーズ・ブルー。何処へ帰ればいいのか、一瞬、わからなくなる。カーブからカーブへとハンドルをつないでゆく。はたして、この先に何があるのだろう。

浦島太郎は帰還の末に霧に包まれて、忘却を友とする幸せな老人となった。身体を包む霧の優しさよ。眼差しは水の粒子に乱反射して遠くへと飛ばされる。彼方にあるもう一人の自分。眼差しは、もう一人の自分に反射して、また舞い戻ってくる。永劫に繰り返される眼差しの往復運動。霧の中で、君は君自身を見ていたはず。

ピクセルの樹海を、何処までも何処までも、奥へ奥へと、コンパスも効かない迷宮へと突き進めば、「いつかきっとつけを払うことになるぜ」と背後から誰かのつぶやく声がする。アリとキリギリスは、どちらが幸せだったのだろう。好きな詩を歌って孤独に死んだキリギリス。ただひたすら禁欲的に働いて、ちょっとだけ長生きしたアリ。この秋に、僕はキリギリスの歌を聞きたいと思う。アリとキリギリス、いずれもやがて土に帰る。

あの世にいるラルティーグにデジタルカメラを渡してあげたい。子供のままのラルティーグは、眼を輝かせて喜ぶことだろう。離婚、結婚を繰り返す度に、妻たちを撮り続けたラルティーグ。ただそこに居る君を、ただポッと、何の理由もなく、ただカメラに収めたい。子供の頃からの習慣が、そうさせるだけのこと。ほんとのところ、ラルティーグとはどんな男だったのか。ただの女たらしの放蕩息子だったのか。それもまた人生。グッドラック、ラルティーグ。

ラルティーグは、フィリップのように「これも違う、あれも違う」と写真を前に悩んだりはしなかった。しかめっ面して悩んだところで、人生は楽しくならないことを知っていたのだ。悩む前に惚れた女に愛の告白をするラルティーグ。悩む前に撮ってしまうラルティーグ。太陽の子、ラルティーグ。

絵を描くことが彼にとっての芸術だった。写真はそうではなかった。芸術とは違う、何か他のもの。ワクワク、ドキドキさせる何か他のもの。けれども、ラルティーグは絵ではなく、写真において芸術家として世界中の人々に認知された。芸術は不意に霧の向こうからやってくる。求めると逃げ、諦めたときにやってくる。

「忘れそうな想い出を そっと抱いているより 忘れてしまえば 今以上これ以上愛されるのに・・・」 ラルティーグは、写真を撮るときに芸術を抱いたりはしなかった。忘れることで、ラルティーグの写真は誰からも愛された。忘れん坊のラルティーグ。

日々忘れることで僕らは生きている。1秒前の事物の細部さえ正確には思い出せない。今、目の前にある君の笑顔も、1秒後には何か他のものへと変わる。記憶は永遠には続かない。次の笑顔を、永遠に続く笑顔を求めても、僕らはすぐに裏切られる。そう、人生とは失望の連続なのだ。その失望を埋めるための「力」。それが「この今、この瞬間」という意識の有り様なのだ。恋人たちは、誰もが「この今、この瞬間」に生きている。過去に浸ることは、すなわち失恋や別れを意味するのだから・・・。「君を忘れないために、この今、この瞬間を大切にしたい」色男の殺し文句。けれどもすぐに忘却がやってくる。

「この今、この瞬間」を忘れないために写真を撮る。しかし、この時代には「この今、この瞬間」を忘れるために写真を撮ると言った方が正解なのかもしれない。ドキュメンタリー写真は「この今、この瞬間」を忘れないためにといった正義に支えられている。忘れないために、ドキュメンタリー写真家は、定義づけ、証拠探しの旅に明け暮れる。写真は、カメラは、その証拠探しのための便利な道具というわけだ。言葉と写真に支えられるドキュメンタリー。しかし、言葉にすれば、写真にすれば、嘘に染まる。ダンシング・オールナイト・・・瞳を閉じて。

ドキュメンタリーをドキュメンタリーと信じるほど単純な世界に僕らはもはや生きてはいない。ぼくらは、キッチンや電車や川原の出来事を日々忘れるために写真を撮る。消え行く写真。忘れるために・・・。

今や死語になった「ドキュメンタリー」を追いかける写真家は、自らの使命感や使い古された写真の方法論にすがるしかないのだろう。そのとき、写真は現実をトレースすることができるだろうか。腕のいいドキュメンタリー写真家なら、強引にトレースする方向へ持っていくことだろう。フンワリとオブラートに包んで自己を語ることも忘れないだろう。今ここで確かにこんなことがあったと、写真を使って証明するだろう。そう、証明写真・・・。パスポートや免許証の証明写真は、あなたを指し示してはいるけれど、あなたとは似ても似つかぬしろものだ。本当は何の証にもならない。

いつしか、証拠探しに疲れ果てた写真家は、自らの家に無事たどり着くことができるだろうか。小さな窓から差し込む光。それ以外は何もない、何も起らないこの今。静かにシャッターを押し、静かに消去ボタンを押す。なんの有用性も持たない、ただの写真。「忘れそうな想い出を そっと抱いているより 忘れてしまえば 今以上これ以上愛されるのに・・・」

デジタルは、何かを忘れさせてくれたように思う。何かが僕の中で弾けたように思う。「銀塩」という今となっては懐かしい響きが、僕を呼び戻すことはもうないだろう。壊れた家庭生活のように、それは永遠に戻ってはこないし、引き返すこともできない。ラルティーグが三度の結婚をしたように、僕らは前へ前へと進むしかないのだろう。「今以上 それ以上 愛されるまで あなたのその透き通った瞳の中に あの消えそうに燃えそうなワインレッドの 心を写しだしてみせてよ ゆれながら」

 

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気がつくとキャンパスの中で写真を教えている自分がいた。自ら望んだわけではなかったが、いつのまにかそうなっていた。人生とは不思議なものだ。キャンパスの中を歩いていると、若かった頃の自分を思いだしてせつない気分になることがある。僕が大学生の頃は、驚くほど何も見えてはいなかったナと思う。全てが未成熟で、未完成な自分がいた。ただただ茫漠とした時間の中で、無為な遊びに夢中な自分がいた。女の子たちと通ったディスコや同伴喫茶。あの子たちは今、どんなオバサンになっているのだろう。いろんなことがあって、いろんな出会いがあって、いろんな別れがあって、あっという間に青春は通り過ぎていった。キャンパスの中は若い熱気で溢れているけれど、もうその熱気と共には生きてはいない自分を見つけて、少し寂しくなる。浦島太郎的孤独の中、僕は僕の居場所を探している。

雨の中央高速、雨滴の向こうの赤いテールランプを追いながら、こんな人生も悪くはないナと思ってみたりする。元気な頃の拓郎が、カーステレオから流れてくる。「シンシア 帰る場所も シンシア ないのなら シンシア 君の腕で シンシア 眠りたい・・・」

雨が霧を呼ぶのか、霧が雨を呼ぶのか。霧も雨も、包まれる優しさに満ちている。帰る場所を失って、今、雨の中にポツンとひとり。

 

 

2003年、D-siteに連載した文章です。

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